「小さな者」の香り


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                                         火で味付けしなさい (上)
                                         マルコ9章42‐50節



                               (1)
  41節、42節には、何か胸にグッと迫って来るものがあります。「キリストの弟子だという理由で、…一杯の水を飲ませてくれる者は…」、「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は…」など。ここを読む度に、何という大きな確かな手で私たちは守られているのだろうと、胸が熱くなります。それがどこから来るのか、何故こんなに喜びが湧き上がるのか、それを探りたい。それを突き止めたいという思いにさせられます。

  先ず41節で、イエスは、「はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける」と言われました。

  「キリストの弟子」とありますが、原文では「弟子」という言葉はありません。キリストに属する者、キリストの者とあるだけです。あなた方がキリストにある者だという理由で、一杯の水を飲ませてくれる者は、断言する、決して報いから漏れることはないと言われたのです。「必ず」と、非常に強い言葉が用いられています。

  マルコ福音書は迫害時代に書かれました。誰を信用し、誰を警戒しなければならないか。このイエスの言葉は、大事な目安になったでしょうし、危険な中、僅かに水一杯を差し出してくれる行為の中にも、百万の味方が隠されているかも知れないことを思って、キリスト教徒はこの言葉を心に刻んだでしょう。

  「報い」とあるのは報酬や賃金の意味ですが、ここで言われているのはもっと大きな神からの報酬です。

  当時のキリスト者たちはまた、この言葉から、自分達は小さい者ながらいかに神に尊ばれ、擁護され、愛されているかを、畏れを持って覚えたことでしょう。41節は報いの事が言われていますが、その事以上にキリストにある者たちへの神の愛が主題であります。

  星野富弘さんのカレンダーを毎年買っている方もあるでしょう。私は、今も時々、渡良瀬川沿いの山深い東村に住む星野富弘さんの詩画集を取り出して読みます。もう10冊ほどあるでしょう。20代に中学の教員になり、直ぐ、首の骨を折って寝たきりになり、以来ずっと首から下が動かせなくなって、7年間、病院で信仰を得るまでは荒れ狂う絶望的な日々を過ごしましたが、信仰に導かれ、口に絵筆を銜(くわ)えて花の絵を描き、詩を書いて今に至られました。絵手紙が盛んになった背景に、星野さんの影響が少なからずあると思います。外国語にも翻訳されています。

  星野さんの詩が爽やかなのは、ご自分が「小さな者」であることを、穏やかに、素直に生きておられるからでしょう。「小さな者」の香りを放っています。それが人を引き付けるのでしょうし、詩と絵に接すると肩の荷が下りる思いがするのでしょう。

  「私は傷を持っている。でも、その傷のところからあなたの優しさがしみて来る。」パウロの言葉やモーセのある場面がチラッと頭をかすめます。23才の青年が、神の優しさが沁み込んで来る大きな傷を持つようになり、その傷からしみ込んで来る優しさに心を留めて生きて来られました。その傷は「あなたの」優しさの他、他の何ものによっても癒されないものであると素直に歌います。

  私の一番好きな詩は、「いつだったか、きみたちが空を飛んで行くのを見たよ。風に吹かれて、ただ一つのものを持って、旅する姿が、嬉しくてならなかったよ。人間にとってどうしても必要なものは、ただ一つ。私も余分なものを捨てれば、空が飛べるような気がしたよ。」素晴らしいですね。

  「ただ一つのもの」とは、信仰でありキリストだという思いが彼にはあるでしょうが、あからさまに言っておられません。その慎みにも魅かれます。「ただ一つのもの」をタンポポのワタゲの実に託して歌って、ただ一つのものを見出せば、誰でも身軽に空を飛べるような気がする。これは信仰の真理を歌ったものでしょうが、それを知らない人の心をも強く打ちます。

  星野さんの色々な詩には、東村の空気を思わせる澄んだ空気が漂っていますが、この詩にも「小さな者」であることの感謝というか、寝たきりでも、単純に素朴になれば軽く大空も飛べると歌う、澄んだものが漂っています。

  星野さんの詩を読むと、迫害ではないが、首の骨を折る迫害に等しい極めて厳しい試練の中で、自分は小さい者ながらも、いかに神に尊ばれ、擁護され、支えられ、愛され、今日まで導かれて来たかを、畏(おそ)れを持って覚えていらっしゃる事が窺(うかが)えます。

       (つづく)

                                       2018年8月26日



                                       板橋大山教会  上垣勝



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