平和への招き


           シェークスピア・グローブ劇場の観覧席と青空天井。左に舞台。     右端クリックで拡大
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                                          空腹のつらさ (下)
                                          マルコ8章1-10節



                              (3)
  聖書に戻りますと、7月の夏季集会で「主の祈り」を学びました。「主の祈り」はどこをとっても素晴らしいですが、今日の個所との関係では、「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」という祈りです。

  マタイでは、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」、ルカでは、「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」となっています。さすがにルカは医者ですから、生命維持のために今日だけでなく、「毎日」必要だと言われたと解釈してこう書いたのでしょう。

  いずれにせよ、「主の祈り」を前半後半に分ければ、イエスは後半の出だしで、生命の維持に不可欠である糧を求める祈りを祈れと言われたのです。これは4千人、5千人の給食の事件でも一貫して「食べ物がない事のつらさ」、潰れてしまうかも知れない人たちへのイエスの熱い思い遣り、配慮があることと符合しています。自国民の空腹と外国人の空腹を全く同じ重さとして差別なく受けとめています。2千年前ですから驚きます。

  イエスにとって民族の差別や国境はあったのだろうかと思います。むろん現実としてそれを意識しておられたのを散見します。しかし民族差別も国境も、終末的には撤廃されるものと考えられたから、この様なユダヤ人と異邦人に対するほぼ同じ2つの給食の出来事を残されたのでしょう。

  イエスはいつの日か国境が取り払われ、言葉や肌の色で差別されず、全人類が同じ家族の一員として等しく取り扱われる日が来ることを、非常に遠く彼方にあるその日を、見ておられたのではないかと思います。

  ある人は、「豊かな国に住みながら、餓死するような賃金しか受け取れないのは犯罪である」と語っていますが、そうした事が起こらない政治をするのが政治家の責任でしょう。2019年度に防衛費の過去最大増を目論んでいては不可能です。年金受給が年々大幅に減少する反面、所得税、住民税、介護保険料がべらぼうに増額する遠因、いや、その真の原因は防衛費増にあります。

  イエスは、「平和を実現する人々は、何と幸いなことか。天の国はその人たちのものだ」と語られ、他の場所でも、「平和を求めて、これを追え」と命じています。キリスト者は平和を追求するように招かれている。それは私たちに与えられた「祝福」です。

  夏季集会をもう一度思い出しましょう。イエスは、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と祈るように言われたのです。自分の糧だけではありません。自分も含みますが、「我らの」日用の糧を、家族の壁や社会の壁、民族や国境の壁を越え、世界という一つの家に住むすべての「我ら」に、日用の糧が与えられるように祈って行きましょう。「空腹のつらさ」を思うことによって、戦争を2度と起こしてはならない事、平和を追い求めることへと一歩踏み出しましょう。


          (完)

                                       2018年8月19日



                                       板橋大山教会  上垣勝



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