愛とお大切


     テムズ川に面するシェークスピア・グローブ劇場で「真夏の夜の夢」のTシャツを手に入れました。  
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                                        仕える者になろう (上)
                                        ヨハネ12章20‐26節



                               (序)
  Aさんの視力が更に悪くなり、礼拝の司式の日は他の役員がサポート下さるようになりました。障がいを持っていても、こんな司式の仕方があるわけで、私たちは貴重な試みをしていると思います。Aさんの方も、出来るだけ司式がスムースに行くように、今回はパソコンを使って前回より一歩進んだ司式の仕方を編み出して下さっています。

                               (1)
  今日の26節に、「父はその人を大切にしてくださる」とありました。

  日本にまだ現代のような意味で「愛」という言葉が使われていなかった時代、愛は仏教の執着や煩悩を意味する否定的な意味でしたから、宣教師たちは神の愛を、「お大切に」と訳したと読んだことがあります。子ども達が自信を持ち、しっかり生きて行くためには、自分は大切にされている愛されているという実感がなければなりません。それは自信を持って生きる十分条件とは言えませんが、欠かせない必要条件です。大切にされているという事が、実感となって子どもの心に届いている事。そのようにされて始めて子ども達はよく育ちます。

  自分は、神様から大切にされている。キリストは私を大切に扱って下さり、いつも私と共にいて下さっている。それを感じ、感謝している人は幸いです。反対に、自分などイエスから鼻もひっかけられない者だ、自分などどうなってもいいと神は思っていると考える人は、どんなに寂しく、残念でしょう。それは神を誤解し、神に対する関係が間違っていると思います。だが神は愛です。皆さんを、大切に思って下さっているのです。

                               (2)
  さて、ギリシャ人が何人か、「お願いです。面会させて下さい」と、イエスに会いに来たのです。彼らはユダヤ教に改宗したギリシャ人でしょう。

  先ずフィリポにコンタクトを取ったのは、彼がベトサイダ出身でギリシャ語を堪能に話せたからでしょう。彼らから相談されると、彼はガリラヤの漁師アンデレに話して、一緒にイエスに伝えたのです。

  どうしてギリシャ人がイエス接触して来たか。ギリシャの神々は権力の神々であり、繁栄を求める神々です。またかなり淫乱な要素もあります。彼らはそういうギリシャ文化に嫌気がさして、もっと厳格なユダヤ教に未来を託そうとしたのでしょう。

  それにも拘らず、ユダヤ教徒になって過ごして見ると、その民族主義、閉鎖的な国粋主義がだんだん明らかになって飽き足らなくなったのです。

       (つづく)

                                       2018年8月12日




                                       板橋大山教会  上垣勝



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