地球全体も教会も多様性


   Shakespeare's Globe Theatreはイギリス式の野外能舞台だった。
     周りを3階建の指定席が囲むが、開演が近づきかぶりつきの立見席に若者客が陣取り始めた。    
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                                        同じ神の働き (下)
                                        Ⅰコリント12章1-11節



                               (3)
  多様性と統一性という事に戻りますと、教会には色んな人がいて多様な賜物や個性を持っています。AさんはBさんに無いものを持ち、Bさんも、AさんCさんにないものがあります。どの人も必ず善いものを持っているのです。賜物は皆違います。だがそれをお与えになるのは同じ神、同じ聖霊です。それを認めれば、教会の一致、統一性があるとパウロは言うのです。

  繰り返しますが、霊は一つ、神の働きは一つ、信仰は一つ。神が与える賜物に色々違いがあるが、同じ聖なる方の働きである。ここに教会の一致、統一性が生まれる源があるという事です。

  私達は「イエスは主なり」という信仰によって一つです。イエスは私の主である、教会の主である、世界の主である。これが多様な人たちを1つに結び付け、世界の人を一つにするのです。

  パウロはこれを書きながら、コリントのクリスチャンが、自分には優れた賜物があるとして、その秀でた賜物をもって人を牛耳り、子分を作り、時には分裂に至らせる間違った賜物理解への警告もしているのでしょう。11章までで語られて来たことからそう思います。自分の優れた賜物を振り回して、教会を掻き回すことがあってはならないという事です。

  5節以下で、「務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです」と語るのも、今申しましたように、賜物というのは、全体の益となるために神が授けて下さったものだと説くのです。

  即ち、賜物は種々あり、主に仕える務めや働きも種々あるが、それらは各自に神が送っておられるもので、個人的利益や誉れの為でなく、全体の益になる為に使うべきだという事です。一人ひとりの賜物が、全体の益のために発揮されるときに、賜物は神様とも結びついてより大きな意味を持つものになり、全体への奉仕という美しいものになるという事でしょう。賜物は、他の人への奉仕と愛を動機として全体の益の為、キリストの栄光の為に用いられなければならない。それが教会という共同体の姿だという事です。これは教会だけでなく、他の社会、職場などでもあてはまるでしょう。自分ファーストや個人的な狭い視野でなく、もっと大きな広い視野を持つことです。今の自己保身的な内閣などに特に求められることです。

  更に8節以下で、「ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです」 とあります。霊とは聖霊の事です。

  色々述べられていますが、要するに、知恵においても、知識においても、癒しにおいても、奇跡においても、異言においても、それを解く力においても、これらすべてにおいて働いているのは、同じ聖霊であり、同じ神であり、同じお方である。

  誰も偉ぶったり、高ぶったり、尊大になったりしてはならない。また卑屈になる必要もない。皆、同じお方に仕えているのであり、同じお方の為に働いているのである。競うことも、争うことも、勝ち負けもない。大切なのは愛において互いに仕え合う事だということです。それぞれの賜物をもって主に仕え隣人に仕えて行く、そこに多様性の一致が現れるのです。

  話は全く変わります。今年は気温が異常に高くなっています。今朝、会堂で当番のために早く来られたDさんにお会いしましたら、「大変な気温ですね。死にそうですよ」って言われました。皆、へとへとになって生きているんじゃないですか。私は今年から日傘をさして外出しています。ところが、急に日傘をさす男性が増えていると聞きます。なんだ、私を見習い始めた―。それは冗談ですが、今、地球環境を守ることが喫緊(きっきん)の事柄だと、スエーデンの研究者の話が新聞で紹介されていました。日本のジャーナリズムは単発でなくもっと頻繁に警鐘を鳴らさなければならないです。

  気温が上昇すると当然空中の水蒸気が増えます。空中の水分が多くなれば、どこかで水分を放出して雨を降らせなければならない。だから豪雨が起こるのだそうです。地球温暖化と豪雨災害はコインの裏表、密接な関係がある。だからこの分だと今後も豪雨が来るでしょう。

  温暖化で別のことも起ります。ツンドラ地帯などの永久凍土が解けると、あそこは泥炭地ですからメタンガスが空中に放出されます。また森林火災が広がり森林が減少すると、植物は炭酸同化作用をしていますから炭素の吸収量が減ります。また海温上昇は海の炭素を空中に放出します。これらが空中の炭素量を増やすわけです。すると温暖化が促進されます。

  ですから、地球全体の自然の生態系が守られて、何万年も安定して長く続いてきた自然の均衡状態を保たなければならないのです。言葉を変えれば、森林や海、大陸などの地球の気象システムと生物多様性が守られなければ炭素の吸収が激減し、地球環境は元に戻れなくなる点に達すると言うのです。環境が元に復元できなくなれば大変です。

  気象システムも生物多様性も、元をただせば、同じ神の働き、同じ神の賜物です。私達地球人は、皆、同じ方の下に生き、同じ神に仕えていることに気づかなければなりません。個人主義を越え、一国ファーストを越えて、もっと大きな視点、神がお造り下さった世界大、宇宙大の視点で生きなければならないのではないでしょうか。生物の多様性が地球全体を救っている。この豊かな多様性が失われたら、この星は大変生き辛い惑星になるでしょう。それは教会においても、地球全体においても同じなのです。

       (完)


                                     2018年8月5日



                                     板橋大山教会  上垣勝



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