ブキッチョでも素晴らしい


                 ロンドンのShakespeare's Globe Theatreで     右端クリックで拡大
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                                        同じ神の働き (中)
                                        Ⅰコリント12章1-11節



                               (2)
  では教会では霊的な賜物をどう考えるのか。4節以下は先ず、「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です」と書きます。賜物はカリスマという事です。神の恵みがカリスで、その恵みの賜物がカリスマと言います。神様からの恵みの授かりものの事です。それは一人ひとりに授けられているが、それをお与えになるのは同じ神、同じ聖霊の業ですと語るのです。

  信仰から考えると、各自が持っている賜物は神から贈られたものです。各自の努力はありますが、基本的なものは与えられたものです。意志の強さもその一つです。慎重さも細心さもそうでしょう。美声も健脚も剛腕もしかり。知性や感性の鋭さは賜物です。優しさも思いやりもユーモアも賜物に属するかも知れません。

  最初に赴任した九州の教会に、純朴で、心の清さを持った若い女性がいました。パッと顔を赤らめる人でしたが、私達がいた頃に洗礼を受け、やがて植木職人と結婚しました。ご主人はキリスト者ではありませんが、彼女は毎週、電車で近所の子ども達を教会学校に連れて来ました。九州でも東京でもそんなことはなかなかできません。素朴で、飾らず、ごまかさず。愛とまごころをもつ人でした。今は、教会の中心になって支えています。

  その教会が今年、新しい牧師を迎えました。この教会だけでなく他の教会も担当して、兼牧する牧師です。彼女たちは喜びのうちに牧師就任の案内状を100枚出したそうです。ところが私達にも届いた案内文に間違いがありましたので、連絡したのです。するとどうでしょう、彼女は100の教会や個人に、訂正の電話をかけると共に、ぜひ就任式に来て励まして下さいと改めてお誘いしたのです。間違いにほっかむりしないで、皆さんに詫びて再度の案内の時にしたのです。

  間違い。だが、却って教会の真実を証しするものになったでしょう。この教会は神様の栄光をたたえ、宣教の愚かさに掛ける素晴らしい人たちの群れであることが結果的に証されたのです。ブキッチョでもいいのです。ブキッチョにして、誠意をもって生きれば、却(かえ)って素晴らしいものが現れるのです。

  神様は一人ひとりに他の人に無い賜物を必ず授けられています。その人だけにしかないカリスマ、賜物です。それは神様からの贈り物です。彼女の純朴さがそんな風に表れたのです。


       (つづく)


                                     2018年8月5日



                                     板橋大山教会  上垣勝



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