坂の思索


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                              葬儀説教(下)

                                     ダニエル5章17‐28節
                                     2018年7月23日(月)


                                (2)
  9年前にA子さんが教会の50周年誌に書かれた「坂」という題の文章があります。夫のOさんが洗礼を受け、暫らくして肺炎が引き金になって召されました。その1年後の文章です。彼女はチョッとしたことを心に留めて思索する人でした。ここにも思索の跡があるのを知りました。

1) こう始まります。「坂と言ってもそれは数歩で終わる小さな短い坂である。大山教会の十字架はその先にあった。」
  この坂は、今日、皆さんが登って来られた教会の坂です。坂の下から見ると十字架はその先に高く見えます。

2) 「私が初めて十字架を見たのは、昭和6年ドイツの宣教師キュツクリッヒ女史の鐘ヶ淵幼稚園の時で、その卒園記念はこれも初めて手にする聖書であった。昭和4年12月16日発行とあるその小さな聖書は、色こそ褪せたが今も手元に健在である。幼かったその頃の私は、今八十路を越えてこの坂を上りながら思うのだった。」
  教会の坂の上にある十字架が、幼稚園の十字架と卒園で貰った聖書を思い出させるのです。教会の坂はまた、80代に入った人生の急勾配の坂ともダブるのでしょう。

3) 「50年と言う歳月この坂を上り下りした人たちの事を。」
  教会の50周年に、これまで教会の坂を上り下りした多くの人たちの事を思うのです。どんな悩み、苦しみ、重荷を抱いて坂を上り、坂を下りたかを、です。

4) 「神の示された地に置かれた一粒の種が芽を出し、枝葉を広げ、根を張って大山教会となったのである。増改築の跡は壁にも、床にも明らかで当時のことを理解するのは容易であった。」
  50周年誌は教会のリフォーム前に出しました。当時は、あちこちに50年の歴史の痕跡(こんせき)が見えました。

5) 「多くの神の働き人によって整えられた道を私は今、歩いているのである。7年前……私の見つけた教会は神の用意しておかれた場所でもあったのだ。」
  50周年の7年前、2001年に転入会した大山教会は、神が自分に用意しておられた場所だったと感謝を述べるのです。

6) 「幼い頃見上げた十字架、今仰ぐ十字架、そこえ向かう私にとってその坂は、決して小さな短い坂ではない。」
  この坂は、自分が担っている十字架、自分の十字架へ向う坂、夫亡き後の人生の坂のことでしょう。それは決して小さい坂ではないのです。重い坂、難儀だけでないが難儀な坂です。家康の、「人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如し」と言う言葉も連想させられます。

7) 「その先は目に入れることが出来ないほど遠く、果てしなく続くかと思はれてくる。 でもその先に十字架の見えるこの坂が、私の上る坂だ。」
  自分の人生も先の方に十字架が見えるようなのです。そこにイエスがおられ、救いがあるのです。ですから、十字架が見えるこの坂を私は登ると言われるのです。

8) 「確かに見えるのだが一体どれだけ歩けば、そこへ行くことが出来るのだろう。」
  ここでは、十字架の許へ自分は行けるのか、イエスの許に近づいて行けるのかと自問自答しているのでしょう。A子さんはブレない人でした。でも生身の人間です。どうして少しもグラグラすることがないと不真実な言葉を吐けるでしょう。

9) 「陽を浴び風に吹かれ、雨にも打たれる、楽しくて好きだ。」
  四季折々に教会の坂を、雨や風の日々、この坂を登るのが好きなのです。彼女はバランスがとれていましたね。健全な魂、精神の健やかさを持っていました。感性豊かな人でしたが、感情が暴発することがなかった。

10) 「今はその外(ほか)の事がなぜか不要に思われて来るのが不思議。」
  今は、自分の十字架を負って生きる、その事以外はみな大した事でないと思われ、不要にさえ見えるのです。物事の軽重を見分ける目を持っておられたのです。

11) 「その中で私に残された一番大切なもの。それは神との対話しかない。その事を心から願い、望み、祈りながら歩こう。」
  ここにA子さんの人生がはっきり定まっています。それは神との対話、祈りです。人生を神と対話し、思索しつつ生きるのです。「我が心定まれり」という心境です。

12) そして最後。「歩き続ける力が残されているかどうか、知らなくてもよい。信じた人達があったからこそ、この道は続き、信じる者達が今日もまた、この坂を上ってゆく。」
  微妙な所をコソバイ所まで書いて、軽妙な文章が心に残ります。もし鷲田精一さんが知ればきっと、朝日新聞の一面に掲載の「折々の言葉」で取り上げるかも知れません。

                               (3)
  再び昨夜の話に戻りますが、A子さんは、あなたは「あなたの命をその手ににぎり、あなたのすべての道をつかさどられる神をあがめようとはしなかった」と、神の叱責の言葉として聞く婦人となり、同時に、「あなたの命をその手ににぎり、あなたのすべての道をつかさどられる神」という、全ての命を掌(つかさど)る唯一の神を知り、その前に額づく婦人になられたのです。ここにA子さんの命の源があります。

  彼女は、ある時は謹厳な人に見えました。ある時は自由の人であり、ある時は赦しの人、ある時は子どもや幼な子、ある時は涙もろく、ある時は恩愛(おんない)の人、ある時は男性的な方にもなり、ある時は笑いの人、ある時は芸の人、アートの人、ある時は遊び心を知る人、ある時は料理の人。ある時は経済の人、ある時は小事に囚われぬサッパリした磊落(らいらく)な人、ある時は知的な成熟の女性、ある時は憐れみ深く、ある時は人の心の底を鋭く洞察する人。ある時は大胆、ある時は用心深く細心、ある時は粘り強く、努力家、ある時は諦(あきら)め早く淡白。その根本は祈りの人、信仰の人、証の人、愛の人でした。

  これらの源は、「あなたの命をその手ににぎり、あなたのすべての道をつかさどられる神」に由来し、この神の前に彼女は身を低くし、この神を知るゆえに自由で、大胆で、喜ばしく、感謝があり、謹厳にも、磊落にも、成熟にも、笑いの人にもなり、多面的な顔を持つ人であったのです。その一切は、ただ自分の心の貧しさや生身の人間として正直になれば不真実なことさえある自分でも、それらを持ってさえ神を褒(ほ)めたたえたいと言う願いだったと言えるでしょう。それは妹さんが目指していた姿でもあったでしょう。A子さんは思い出深い、温かく、不思議な人でした。


       (完)


                                            2018年7月25日


                                         板橋大山教会  上垣勝



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