私の好きな聖書は


              オックスフォード、クライスト・チャーチ・カレッジ。    右端クリックで拡大
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                              葬儀説教(上)

                                     ダニエル5章17‐28節
                                     2018年7月23日(月)


                               (序)
  昨夜来れなかった方々もおられますので、お許しを頂いて、最初からかなりダブったことを申し上げます。A子さんは耳が悪かったが目は特別良かったです。このお写真は少し笑みをたたえ横にらみで、「皆さん見ていますよ」って葬儀の一部始終を見ておられるようなお姿です。

                               (1)
  A子さんは近江商人の出です。近江商人というより、今では観光地にさえなっている五箇荘(ごかしょう)の近江豪商の出と言う方が、分かりが早いでしょう。その代々続くB家の5人兄弟の長女として、1925年4月6日に生を享け、昨日7月23日、都内で40度を超えた記録的猛暑日に、93才で神の許に召されました。骨折で入院し、リハビリ中に心肺停止になり、心臓の検査を受けるために体が動かされた時に動脈瘤破裂で颯爽と天に天がけったのです。

  幼少時にキュックリッヒ先生の鐘ヶ淵幼稚園を卒業し、その時頂いた聖書を今まで大事に持っておられました。フレーベル恩物による当時最高の幼児教育を受けられたのです。

  お住いが墨田区の鐘紡の近くですから、戦時中は近江に疎開し、大空襲も、物不足の事も知らないお嬢様で、教会であの戦争を語り合う集会の時も、自分は戦時中の苦労なんて知りませんとあっけらかんとしておられました。戦後すぐ腕のいい写真家であったOさんと結婚され、梅ヶ丘に立派な屋敷と店を構えて活躍始められました。

  しかし、とかく人の世はままならず。ご長男誕生、ご次男をおんぶしている時に、Oさんが酷い結核に倒れ、ご長男も肋膜で入院。高額だったストマイを打つため、家を手放し、財産を使い果たし、塗炭の苦しみを味わわれたのです。どん底まで零落したのです。だが正雄さんの回復後、地底から見事に這い上がって、立派に御子息をお育てになりました。

  近江豪商のご長女と言えば、甘い世間知らずのお姫様のようなお育ちとお思いの方もいらっしゃるでしょう。しかし近江の豪商は単なる金持ちでなく、躾け厳しく、高い教養を身に付け、進取の気性に富み、謹厳実直、合理性を尊び且つ自由闊達、広く世界に目を開く近代人です。

  A子さんは鐘ヶ淵幼稚園で初めてキリスト教に触れ、やがて夭折(ようせつ)された妹さんの信仰の生きざまに影響を受けて信仰に入られました。大山教会に来られたのは17年前の2001年です。

  特に好きな聖書の言葉は、「あなたは…、あなたの命をその手ににぎり、あなたのすべての道をつかさどられる神をあがめようとはしなかった」という、旧約聖書ダニエル書5章の言葉でした。彼女はそれを自らへの警告の言葉として聞き、同時に、万物全ての命を掌る唯一の神の前に額づく人として聞かれました。

  これは2550年程前の今のイラン、イラクであったことです。当時世界に君臨したバビロニア帝国のネブカデネザル大王の子、ベルシャザル王の酒宴の席で、宮殿のしっくいの白壁に現われた不思議な手首が壁に未知の文字を書いたのですが、それをダニエルが解く話です。

  王は、その指先を見て顔色が変わり、心は思い悩んで乱れ、腰はガクガクしてゆるみ、膝は震えて打ち合ったと言います。王者たる者にしていかに恐怖に戦(おのの)いたかを物語っています。

  ダニエルは王の前で恐れることなくこう語ります。「…わたしは王のためにその文字を読み、その解き明かしをお知らせしましょう。

  王よ、いと高き神はあなたの父ネブカデネザルに国と権勢と、光栄と尊厳とを賜いました。権勢を賜わったことで、諸民、諸族、諸国語の者はみな、彼の前におののき恐れました。彼は自分の欲する者を殺し、自分の欲する者を生かし、自分の欲する者を上げ、自分の欲する者を下しました。 しかし彼は心に高ぶり、かたくなになり、ごうまんにふるまったので、王位からしりぞけられ、その光栄を奪われ、追われて世の人と離れ、その思いは獣のようになり、そのすまいは野ろばと共にあり、牛のように草を食い…、ついに彼は、いと高き神が人間の国を治めて、自分の意のままに人を立てられるとことを、知るようになりました。」

  そして先程お読みした所になります。「ベルシャザルよ、あなたは彼の子であり、この事をことごとく知っていながら、なお心を低くせず、かえって天の主にむかって、高ぶり、イスラエルからその神の宮の器を持ってこさせ、大臣たちと、あなたの妻とそばめたちと、それをもって酒を飲み、しかも、見、聞き、物を知ることもできない金、銀、青銅、鉄、木、石の偶像の神々をほめたたえたが、あなたの命をその手ににぎり、あなたのすべての道をつかさどられる神をあがめようとはしなかった。それゆえ、神の前からこの手が出てきて、この文字が書きしるされたのです。

  しるされた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、ウパルシン。その解き明かしはこう。メネは神があなたの治世を数え、その終りに至らせたことをいう。テケルは、あなたがはかりで量られ、その量の足りないことがあらわれたことをいう。ペレスは、あなたの国が分かたれ、メデアとペルシャの人々に与えられることをいうのです」と語ったのです。

  メネ、メネ、テケル、ウパルシン。数えられた、数えられた、量られた、分けられた。今日、私たちも鼻で息をする人間がどう評価し、反対に他人がどう悪評を立てようと、いと高き神によってあなたは数えられ、あなたの器量は量られている。誰も誤魔化すことは出来ない。

  この神の前にA子さんは身を低くし、この神を知るゆえに、自分の力の乏しさを持ってでも、神を褒(ほ)めたたえようと思われたのです。その思いが、例えば毎週の道路脇の看板を書くために93才になっても大正大学に書道を習いに行くことさえさせたのです。

       (つづく)


                                            2018年7月25日


                                         板橋大山教会  上垣勝



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