「主の祈り」の質的な新しさ


                          車山高原(6)        右端クリックで拡大。
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                                          新酒のワインの力 (中)
                                          ルカ5章37-39節



                              (2)
  私たちは先週、「主の祈り」を学びました。そこで学んだのは、十分強調できたかどうか危ぶみますが、イエスが教えられた「主の祈り」が持つ、質的な新しさ、画期的な新しさでした。

  こう祈りなさいと言われた「主の祈り」は、普通私たちが心に湧く祈りとは全く違った質的な新しい視点をもっていました。「天にまします我らの父よ」という、呼び掛けだけを取り上げても、私たちが直接知らない天地万物を創造された全能の神への呼び掛けですが、いたって親しみを込めた、信頼に満ちた呼びかけで語りかけています。驚くべき事です。しかも馴れ馴れしい祈りでなく、「主の祈り」はキリリと引き締まっています。

  日本人がまだあまりアメリカに行かなかった頃、ある日本人が知人のアメリカ人に誘われてあの壮大な大瀑布、ナイヤガラの滝に行ったそうです。天地を揺るがし、地響きを立てて、堂々と巨大な滝壺に圧倒的に流れ込む水量、その大自然の迫力に触れてその日本人は絵も言えない感動を覚えたそうです。すると知人がにこやかに笑って、この滝は「私の父のものです」と言ったというのです。それを聞いて、知人の父親はそれほどの資産家なのかとびっくりしました。さすがは新大陸アメリカだと思ったのです。それでその事を更に聞くと、彼は笑いながら、「そうですよ。父のものです。これは私の父が造った作品です」と言ったと言うのです。むろん父とは誰の事を言っているかお分かりでしょう。今度は、大自然を前に、これは父なる神のものと素朴に語るアメリカ人に驚いたのです。

  その神に「天の父よ」と親しく呼び掛けて祈りなさいと言うのですから、私たちの価値観が質的に変えられざるを得ません。

  その他、先週お話したように、「主の祈り」には普通私たちが考えない生き方、在り方が幾つも出て来ました。先ず何よりも真っ先に神を賛美する態度においてそうでした。また、神のご支配が地上に来るようにとの祈りや、御心を地上にもならせて下さいと言う祈りにおいて、私たちが為す祈りとは質的に違います。何を優先するか、優先順序が違う。また、祈りの後半の現実問題についての祈りで、「我らの日毎の糧」の祈りでもそうでしたし、「我らに罪を犯すものを赦し給え」という事でもそうで、生き方の質的な転換を求められるものが幾つもありました。

  そもそもイエスは、「明日のことを思い煩うな。…先ず神の国と神の義とを求めよ。そうすれば、衣食住などこれらのものは添えて与えられる」と言われたのです。明日の事への思い煩いを超えた、先ず神の国と神の義を優先する質的に新しい生き方です。

  また先程も触れましたが、イエスガリラヤで宣教を始められた時、開口一番、「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と語って、古い生き方を180度方向転換して生きるように求められたのです。

  まさにイエスが告げるのは、「新しいぶどう酒は、質的に新しいカイノスの革袋に入れるべきだ」という事です。


          (つづく)


                                                2018年7月15日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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