キリスト教の宝石箱


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                                         主の祈り (1)
                                         マタイ6章9-13節


                               (序)
  今日はマタイによる福音書の「主の祈り」をお読み頂きましたが、来週の夏季集会は私たちが唱える「主の祈り」を学ぼうという事ですので、今日のお話しはそれに沿って致します。ただ「主の祈り」は聖書から離れてある訳ではありませんので、マタイとルカの「主の祈り」そして聖書全般も踏まえてお話させて頂きます。

  マタイの「主の祈り」の直ぐ前で、先ず神の前に出てただ一人祈る祈りがイエスのよって説かれ、隠れた所におられる父なる神に唯ひとり向き合って祈るようにと言われています。今日は申しませんが、これが祈りの真髄です。その後、イエスはこう祈りなさいと語って、「主の祈り」を教えられました。

  「主の祈り」は「キリスト教の小さな学校」だと言われますが、それ程キリスト教信仰がこの短い祈りに凝縮されています。「主の祈り」は学べば学ぶほど深みがある凄いものです。

  当時はアラム語を話したので、イエスは「主の祈り」をアラム語で教えられたのです。そのアラム語の「主の祈り」は美しい韻を踏んだ、簡潔な詩のような言葉であったと言われます。恐らくイエスご自身が、普段からそのような美しい簡潔な「主の祈り」を祈っておられたのでしょう。私たちが「主の祈り」を祈る時、言葉は違っても、主と同じ思いで祈りたいと思います。

  何度も「主の祈り」を祈っていると意味が擦り切れますが、それでも時々、主イエスの口に合わせて「主の祈り」を祈っている事を思い出して、感謝を新たにしたいと思います。


            (つづく)



                                         2018年7月8日

                                         板橋大山教会  上垣勝



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