背後からの祈り


        ロバート.マルチノー(1826 – 1869)。アシュモレアン博物館。        右端クリックで拡大
                               ・



                                         自分の益でなく (下)
                                         Ⅰコリント10章19-11章1節


  ……私の自由が他人の良心によって左右されよと言うのはおかしい。そこまで弱い人への配慮は必要ない。私の良心が感謝して食べるなら、悪口を言われる筋合いはない。自分の行動についてとやかく言われたり、罵られたり、侮辱的に言われたりされるのは納得がいかないという質問になるでしょう。

                              (3)
  実際にそういうやり取りとして訳している聖書もあります。しかし全体の意味はほぼ変わりません。要するにパウロは、31節を言いたいからです。「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現わすためにしなさい。」パウロが言いたいのは、ここにあります。何をするにも神の栄光のためです。この一点が生きられる時に、自他の徳も高められると言う生き方が現われて来るからです。ここがおろそかにされるから、他を尊ばない行動や発言が生まれるのです。

  昔、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」という本がよく読まれました。戦後、自由主義社会になり、自由経済、自由と解放が世を風靡しました。ところが彼は、人々は自由を得たのにその自由を用いようとしないと語るのです。

  自由には「~からの自由」と「~への自由」がある。「~からの自由」だけを主張して、「~への自由」、愛することへの自由、仕える事への自由、自分を与えることへの自由、献げる事への自由を用いないでいると説いたのです。

  パウロの論敵は「~からの自由」を語り、権利だけを主張し、愛し、仕えると言う最も喜ばしい自由を生きないのです。

  神の栄光の為という事は、無論礼拝において大切ですし、祈りや献金においてもそうですが、生き方において、ただ神の栄光のためにという事が大切に押さえられる時に、自分のためにも人のためにもということも生まれ、神への愛と隣人愛が現われるからです。

  食べることも飲むことも、何を行なうにしても、全て神の栄光を現わす為にすべきである。従って、あなた方の行為によって人を惑わせたり、躓かせたりする原因にならないように。神が崇められ、神の御名が賛美され、ほめ讃えられるようにしなさいと言う事です。

  一言で言えば、神を愛して下さい。もっと、もっと熱く愛して下さい。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、(即ち精一杯)あなたの神を愛しなさい。」そして、「隣人を自分のように(精一杯)愛しなさい」と、イエスが最も重要な事として私たちに説かれた事を、パウロはコリントの教会という状況の中で説いたのです。

  ですから彼は、「ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい」と戒めますし、「わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから」と結んでいます。まさに「~への自由」、隣人を愛する事への自由です。

  自分の益でなく、多くの人の益です。神とキリストに立ち、神の栄光を求めていく時には、自分の利害や自分の自己主張を越えて行くでしょう。それは多くの人の益という他者への広がり、社会的広がりを持って行きます。自由からの逃走ではそれは出てこないのです。

  この隣人への広がりは、神の栄光というこの一点が押さえられ、そこに集中していないならば、いつの間にか再び自分の益、自分の主張、自分、自分に捕えられてしまうのです。この事は誰か他の人の問題でなく私たち自身の問題です。

  その一点は、パウロにとっては、「キリストに倣う者」という事です。キリストがどう生きられたか。キリストに導かれて自分はどう生きるのか。キリストに倣う者になりたい。その意志がある時、キリストは私たちを導いて下さるからです。

  信仰はこの意志です。むろん私たちの意志は弱いです。困難に出会うと一たまりもなく潰(つい)えることがしばしばです。だから、私たちは祈るのです。神に強められることを切に祈るのです。モーセの死後、主が孤独の中に潰されそうになっているヨシュアのために語られたのもこの事です。「強く、雄々しくあれ。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなた方がどこに行ってもあなたの神、主は共におられる。」

  私たちの祈りがあるだけではありません。「強く、雄々しくあれ。あなたの神、主が共におられる」という、主の巨大な祈りが私たちの背後に控えているのです。背後からの神の祈りが私たちを支えるのです。感謝です。


       (完)

                                         2018年6月17日


                                         板橋大山教会  上垣勝



  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif


                               ・