白を黒と言い張る欺瞞


              マネ「クラウス夫人の肖像画」。アシュモレアン博物館で。      右端クリックで拡大
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                                          神の栄光を求める人 (下)
                                          ヨハネ7章14-18節



                                (2)
  イエスは今日の17節で更に続けて、「この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである」 と言われました。

  自分の思いつきやヒラメキでイエスが話していらっしゃるのではないということです。「自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める」と言われました。人の上に立とうとして自分の考えを話す者は皆、自分の功績を求めます。自分の考えがどれだけ正しいか、優秀かと言い張ります。しかし神の栄光のみを求める者は、神に聴き、神の御心に従おうと心を砕き、謙虚に、その御心を探るでしょう。そこには自分の栄光を求める不純さはありません。真実で、不義がありません。

  イエス・キリストは神の許から来た人であり、いかに強く神につながり、神にまで淵源し、この時もなお、神に従おうとしておられるのです。

  イエスは神の御心を求める人でした。そこから外れず、逸(そ)れて行かないのです。イエスは天才ではありません。天才は自分の才能で立っていますが、イエスは神にのみ目を向け、その御心を行なおうとされた方です。方位磁石が決して裏切らず常に北極を指すように、イエスはまことの神を指し、生涯を通しご自分の身を持って神の愛を示された方でした。その極みが十字架でした。

  人は独りです。孤独でなければなりません。でなければ自分の本当の道は分かりません。人と群れてワイワイ言って、人が買うもの持つものするものを見て、自分も真似たり、人の好みに合わせて生きていては、本当に自分らしい生き方は出来ません。流行を別に否定しませんが、そういうものはいずれ入れ替わり、すたれて行く、表層的なものです。

  イエスはしばしば淋しい所に退かれたと書かれています。神の前に静まり、そこから新しい力を得て進むためです。神の前に独り静まるのですから孤独です。イエス程、孤独な方はありません。だがその孤独が神の前でなされる時、孤独がまぎれもない愛となって迸り出たのです。また神との関係で生き、神と共におられたので自由でした。孤独が独りよがりのものでなく、愛となり、苦しむ人との連帯となって行くのが本当の孤独です。

  イエスが次の8章31節で、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」 と言われたのは、イエスご自身が神の前に留まり、真理に生き、自由であられたからでしょう。

  この世がどんなに騒ぎ立てても、右に行ったり左に行ったり、また功績や栄誉を誇る人があっても、イエスだけは常に神を指さされました。時代の波風を乗り越えて、いつも神を指し示されました。それはイエスが優れていたという問題でなく、そのお方から遣わされたからであり、遣わされた方の誉れを求められたからです。

  18節をもう一度取り上げますと、「自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない」とありました。「自分勝手に話す者」とか、「自分の栄光を求める」者という言葉から、今の日本の政治をする人たちがどういう種類の人物かを改めて深く考えさせられます。

  自分勝手に話す者。自分の栄光を求める者と言って過言ではありません。今では、白を黒と言い張り、あった事もないと否定し、証拠書類を廃棄させて、命じたことも命じていない、私は知らないと語る風潮です。「美しい国」日本がどうしてここまで汚れたのか驚きます。為政者がそうですから、歴史をも勝手に捻じ曲げ、世界が認める筈がない勝手な主張さえまかり通る時代になって来ています。国民を欺く為政者の欺瞞が、自らの国をここまで貶(おとし)めてしまったのです

  そういう意味では、私たちは常日頃まことのものに触れていなければなりません。真理とは何かに触れていれば、それが試金石になって偽物や紛い物、物の真贋が分かります。金や名誉を目当てにして偽物にばかり触れていると、物の真贋が分からなくなります。学生の方がその大学の教育者よりよほど人間として一枚も二枚も上です。

  その点、イエスは物事の真相を鋭く見抜く方でした。それが今日の続き、19節以下に出て来ます。イエス安息日の律法をどう考えておられたかを、お家に帰ってから考えてみてください。また25節以下のイエスの出身についての議論も考えてみてください。いずれからも、恐らく新しい発見があるだろうと思います。

        (完)

                                         2018年5月27日




                                         板橋大山教会  上垣勝



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