夕陽が沈むとき


                     ルノワール。アシュモレアン博物館で。    右端クリックで拡大
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                                            夕陽が沈むとき (下)
                                            創世記1章1-8節



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  次に、「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった」とありました。神が、魔法や呪文を唱えて光を造られたのではありません。「開け、ゴマ」というようなことでなく、神の意志で光が造られたのです。「光あれ」と命じられたら、闇に光が現われた。

  「神は 光を見て、よしとされた」とあるのは、神は闇でなく、光を愛しておられると言うことです。神は光を喜ばれたのです。ゲーテは死に臨んで、「光を、もっと光を」と言ったそうです。闇に飲み込まれる思いだったのでしょうか。しかしキリストにある者は既に光の子です。心配する必要はありません。いずれにせよ光より闇が好きな人はいません。薄暗がりを好む人は稀にありますが、かなりの異常でなければ完全な闇を好まないでしょう。人間は神によって創造されたからであり、神が光を喜び、よしとされたからです。そういう所で人間は神につながっている被造物だと言えます。

  光を創造し、それをよしとされた神は、「光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。」ここには微妙な事が触れられています。神は闇をも創造されたのですが、闇の創造だけなら不完全です。光があって意味が生まれます。ただ闇にもある程度の秩序を与えられた。だが闇は光によって完全に支配されて、光の支配下に置かれるのです。

  「光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」とあります。呼んで名づけると言うことは、その存在を許されたと言う意味です。闇の存在も、光の存在と共に認められたのです。闇を永遠に追放されなかった。この摂理を深く心に刻みましょう。人間なら白黒をつけて、闇はダメと言って追放する所ですが、神の愛の広さを思います。闇を愛された訳ではないが、闇の存在も寛大に認められたのです。

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  こうして、「夕べがあり、朝があった。第1の日である。」第2の日も同じです。「夕べがあり、朝があった」と8節で述べられています。1日が夕べから始まっています。実に面白い古代人の考えです。夕べとは日没の時です。太陽が西の端にすっかり沈んだ時、その瞬間から新しい1日が始まるという考えです。

  これはユダヤ人の特殊な考えだという人が多くあります。私も以前はそう考えていました。だがそうではありません。一日が日没から始まり日没で終わるという考えは、ユダヤ人のみならず、紀元前の古代のゲルマニー人、今のドイツ辺り。そしてガリー人、今のフランス辺りではそういう考えを持っていました。いや、驚くかも知れませんが、日本でも平安時代には、一日は日没に初まし、日没で終わるという考えだったのです。

  1日を朝に始まり夜に終わると言う考えは、ローマ人の考えです。もしかすると、どういう経路を通ってか、ローマ風の考えが徐々に入って来たのです。文化の伝播(でんぱ)というのは凄いと思います。

  それにしても、どうして日没から日没までを一日と考えたか。今では推定でしか分かりません。

  人は昼目覚めて働きます。今は夜生産する業種もありますが、普通は昼に生産します。そして夜は休む。夜の時間帯は眠って生産しません。金銭的な、功利的な考えでは、夜は価値のない時間とも言えるでしょう。ところがこの生産的でない、価値が少ない夜の時間こそ、次の日の十分な備えが為される時です。

  眠っている間に、神様が働いて元気を回復させて下さるのです。私たちが色々努力して元気を回復している訳ではありません。何もしない。それなのに元気を回復するのです。私たちの努力ではありません。むしろ努力しないで委ねる方が元気は回復します。

  夜の間に、病気も治して下さることがしばしばです。ベットの中で神様にすっかり任している間に、神様が働いて下さっている証拠です。朝起きたら、傷が治っていたり、風邪が良くなっていたりします。もちろん朝起きると風邪気味なのが分かったりもします。

  夜が大事なのです。「夕があり、朝があった。」夜、私たちが休み、働きをやめる時に、神の働きが始まるのです。ですから、夜や闇を悪玉と考えてはならないのです。光が射さない夜は、神が働いて下さる時です。

  「夕べがあり、朝があった。」ここに深い意味が含まれている気がします。夕べそして真夜中、その向こう側に希望があるのです。明け方が一番闇が深いと言います。夜が深まり、闇が最も極まった時に朝が始まるのです。これは人生においてもそうです。闇の向こうに朝があります。闇を越えなければ朝は来ません。闇を越えた時に、朝は清々(すがすが)しいのです。ゼカリヤ書は、「夕べになっても、光がある」と語っています。人生の夕暮れ、その時になっても光がある。

  Aさんが新婚旅行のお土産にと、パリにあるサン・シャペル礼拝堂の素晴らしいステンドグラスの置物を下さいました。この夏から受付の週報が飛ばないように文鎮にさせて頂きましょう。このステンドグラスは、一人の老人と天使、羊たちと犬が描かれています。老人はヨアキムという人物です。

  伝説によればヨアキムの妻はアンという女性で、2人の間に生まれた子どもがマリアであると言われます。しかしヨアキムとアンは結婚したが、何年も子どもが生まれません。そのためヨアキムは打ちのめされたのです。当時の大祭司は、ヨアキムは律法の呪いの下にある。神に呪われている。だから子どもが生まれない。どこかに罪があるとさえ言ったのです。

  やがてヨアキムは老人になり、羊飼いとなって砂漠で暮らし始めます。自分は何も持たない、何も育たない言わば砂漠同然の人間だと悲観したのです。

  ところが、この砂漠で神の使いに出会います。そして一人の子どもを授かると約束されるのです。それがやがてイエスの母となるマリアであったというのです。

  彼も言わば、「夕べになっても光がある」人だったのではないでしょうか。人生の闇の向こうに希望の朝を見、「夕べがあり、朝があった」ことを知った人でなかったかと思います。

  「夕べがあり、朝があった」のです。朝があり、夕べがあったのではありません。光の朝から光が薄れ行く夕べ、そして登場する夜の真っ暗闇で1日が終わるのではありません。神の救いのみ業は、夕べから希望の朝へと向かい、そして静かな落ち着いた夕暮れへと、荘厳な日没へと向かうのです。それは翌朝の日の出に向かう日没であります。死の向こうにさえ復活の朝が待っています。

       (完)


                                         2018年5月20日




                                         板橋大山教会  上垣勝



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