自分は壊れていました。


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                                        Ⅱコリント4章7-11節



                               (1)
  7節に、「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」とありました。

  先程の子ども達へのお話から今日も教えられるものがありました。ここに出て来る宝は、「神様を悟るということが宝だ」と解釈してお話し下さったと思います。確かにそう解釈していいと思います。しかしまた、「このような宝」とは、単純化して言えば、キリストそのもの、あるいはその福音であり、信仰的霊的な宝の事だと言ってもいいでしょう。そして、この宝は、「並外れて偉大な力」を持つもので、私たち人間から出たものでなく、神から来たものであることが明らかになるように、「土の器」に納められていますと語るのです。

  商売人であろうと警察官であろうと、科学者であろうと主婦であろうと、皆、土の器であります。地位や才能や職業にはいささかも差はありません。

  「並外れて偉大な力」とあるのは、最高、究極、神の超越的な絶大な力を指します。それが神に属するもの、神のものであることが明らかになるように、「土の器」に納められたのだというのです。

  これは意外です。普通高価な宝ほどいい入れ物に入れるのではないでしょうか。小物入れが好きな若い女性たちがいます。可愛い素敵なデザイン。夢を与えてくれそうな小箱です。ヨブに3人の娘たちがいましたが、3番目の娘にケレン・ハップクという名前をつけました。新共同訳ではケレン・プクです。実に愛くるしい末っ子の愛娘でした。その意味は愛らしい宝石の小箱です。宝石の詰まるキラキラ光るような娘に育ってほしいとヨブは考えたのでしょう。

  所がここにある「土の器」とは素焼きの器です。陶磁器も指しますがここでは安物の、落とせばパリッと割れる素焼きの入れ物でしょう。素焼きは値段も安く、見栄えがしません。そんな物に、莫大な神の宝が納められている。キリスト者とはそういう人であると語るのです。本来人間とはそういう者だと言ってもいるでしょう。

  人は色んな弱点を持ちます。キリストに出会う前に、既に壊れている部分があったり、自分などは出会う前から既に壊れていました。形がいびつだったり不細工なところがあったり。だがそういうお粗末な器に、並はずれて偉大な宝が盛られている。粗末な器に偉大なものが盛られる事によって、宝が神のものであることが一層明らかになる。キリスト者というのは、そういう神の素晴らしさが明らかになると、心から嬉しい。その時に、私たちは主を賛美し感謝する。それがキリスト者だと語るのです。

(つづく)


                                          2018年5月13日




                                         板橋大山教会  上垣勝



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