あらゆる喜びと平和


           オックスフォード大 クライスト・カレッジのコアイヤーの少年たち   右端クリックで拡大    
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                                             喜びと平和 (4)
                                             ローマ15章13節



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  「信仰によって得られるあらゆる喜びと平和。」私はこの言葉で、久し振りにAさんを思い出しました。Aさんは静かな方でした。難病のために華奢で体の弱い方でしたので弱そうに見えました。教会に来られる前、50代、60代は月に2度も入院することがしばしばで、1年に何十回入院したか数え切れない程だったし、それが何年も続いたのです。本当なら人生が嫌になっちゃう。

  だがAさんが弱音を吐くのを聞いたことがない。愚痴など耳にしません。爽やかな方でした。

  口から出たのは「感謝です」、「ありがとう」でした。何度「感謝です」をお聞きしたことかと思います。「信仰によって得られるあらゆる喜びと平和」に与っておられた。

  見掛けによらず心の芯が強い母でした。娘さんの言葉です。だから弱音を吐かなかったし、つらい体でも礼拝に休まず出て来られたのです。そよ風が吹いても倒れそうなあのお体で礼拝に来られました。看護師の娘さんはそれを大目に許していました。Aさんは自分に厳しい方でした。魂の純粋さを持っていたからでしょう。

  キリストに救われたという、その一点を感謝を持って固守された。だから揺るぎなかった。どんな事があっても動じなかった。だからこそ、一度死んだ筈なのに、向こう側から戻って来るという実にありえない不思議なことさえ起ったのです。

  「信仰によって得られるあらゆる喜びと平和」です。この事を求めて行きましょう。

  話は別の事に飛びますが、召される方が去年から集中し、遠方に行かれた方やご高齢で自分一人では来れなくなる方もあり、30人近くの礼拝が20人に満たない礼拝になりました。これを見て逃げ出したい方があるかも知れませんが、先週報告の時に申しましたが、14年前に赴任した時は礼拝が14人程でした。それが18人になり、19人に増え、やがて20人を越え、30人近くなったのです。愛餐会も最初は7、8人でしたが、それが12人になり、14人になり、やがて20人を超えるようになりました。私は資料を繰ってお話しています。

  初めは大抵、「ちらし寿司の素」に絹サヤなどを添えた毎回シンプルなものでしたが、やがて肉や卵類が添えられるようになり、サンドイッチや杏仁豆腐も付いたり、「おーいお茶」も買い置きされました。

  今、愛餐会の歴史を申上げようとしているのでありません。今、私たちが経験している人数は、十数年前に経験済みの事である。いわば自然減です。神の恵みの減少ではない。恐れることはない。委縮することはない。大いに胸を張って、15人であろうと、20人であろうと、堂々と信仰に生きればいいということを申上げています。

  今は、背が低くなりましたが、これは膝を屈(かが)めているからで、膝を曲げているのは次の跳躍のためです。だが不自然なジャンプは不要です。時が来れば神が備えて下さるでしょう。

  今必要なのは、「信仰によって得られるあらゆる喜びと平和」なのです。キリストにおいて、「御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る」という希望の源である神、神による希望を、感謝をもって固守し、揺るぎないことです。どんな事にも動じないことです。

  そしてキリストの深い泉から平和と喜びを、ますます勇敢に汲み出して行きたいと思います。


         (完)


                                         2018年5月6日


                                         板橋大山教会  上垣勝



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