平和と喜びを汲む


          懐かしいこの味。いつも窓辺においてかじっていた日々を思い出します。
                    オックスフォードでも種類はほぼ同じでした。
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                                             喜びと平和 (3)
                                             ローマ15章13節



                               (2)
  さて今日の、「希望の源である神」からもう少し福音を聞きましょう。

  彼が、「希望の源である神」と語るのは青春の希望とか私の希望の大学と言った意味での希望ではありません。7節から12節までを読めば分かりますが、彼は人類の希望の源を語っています。それはユダヤ人だけでなく、異邦人、外国人、すべての人がこぞって主を賛美することになるような「希望の源」です。

  ヨハネ福音書3章16節は、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と語っています。「希望の源」とあるのは、「御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る」という希望であり、そういう世界を覆う神による希望だと言っていいでしょう。

  それは神の御子が十字架に就くという仕方で人類にお仕えになったことで始まった希望であり、神がその独り子を私に代わって十字架に付けて下さったことから来る希望です。

  そうした「希望の源である神」が、「信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」と執り成し祈るのです。

  こうした神が信じられる時、その信仰によって、「あらゆる喜びと平和」で「満たされる」と語られています。元の言葉は「充ち溢れさせられる」と語ります。

  「喜び」とあるのは歓喜です。生きる喜びです。元気や活き活きした気力。生気を指します。生きる元気、喜びを持った元気です。また「平和」とあるのは、神との平和であり人との平和です。神のご支配から来る平安であり、心の安定です。霊的な休息、平穏、心の一致、統一であり、安息でもあります。

  キリストを信じる信仰は、そういう目に見えない、喜びと平和で満ち溢れさせて下さるのです。私たちが努力して、頑張って、苦労して手に入れると言ったものでなく、神が気前よく与えて下さるものです。

  パウロは、信仰から来るそうした喜びと平和を何よりも大事に考えました。ですからローマ書5章で、あの有名な言葉を記しました。「わたしたちは信仰によって義とされたのだから、…主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、…キリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っている…、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」と記し、このような神による、「希望はわたしたちを欺くことがない」と断言しています。

  ここで言われている「苦難」は、オリプシスというギリシャ語で、艱難も指しますし、迫害も指し、苦難や圧迫、困難や苦労や悩みも含みます。私たちが直面する個人的な悩みから仕事や公けの場で直面する苦難など色々なものを含みますが、そのようなオリプシスが却って私たちを忍耐と練達へと導くというのです。神の平和を授けられている時に、そんな風に導かれるのです。

  「練達」とあるのは、鍛えられて達した人柄、風格や人格を指します。そういう練達、鍛えられた人格は「希望を生む」と言うのであり、こういう希望は私たちを欺かないと語るのです。彼は物事を非常に深いところから考えています。

  バルザックという作家がいます。いると言っても約200年前のフランス人です。「谷間のユリ」や「知られざる傑作」で有名です。彼に「ざくろ屋敷」と言う短編があります。前半は、情景描写が重条として連なり、うんざりするほどでやや忍耐がいりますが、後半になって一気に生き生きし出し、最後の数ページは涙なしには読めません。感動で久し振りに熱い涙がこぼれました。

  14才の少年ルイは母子家庭の長男です。病弱の母が35才で若死にした後、遺産として残された12000フランのうち、10000フランを預けて幼い弟を寄宿学校に入れ、自分は僅かに2000フランを貰って、見習い水兵という最も低い水兵として軍艦に乗り、いかなる忍従にも耐える覚悟なのです。彼は14才ながら既に大学に入れる学力を備えているのですが、彼には母譲りの気高い魂が宿っていて、このような献身を持って弟を支え、自分の道も独力で切り拓いて行くのです。クライマックスで思わず感動の涙を禁じ得ませんでした。今日の聖書で言えば、彼は母を通して希望の源に出会っていたのでしょう。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。そして希望は私たちを欺かない。そのような歩みへと踏み出すのです。

  ただパウロは、そこに留まりません。「聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」と祈っています。希望の神がこういう私たちにして下さり、その上に、聖霊が働き、「 希望に満ちあふれさせてくださるように」と祈る。何と深い信仰的な思索でしょう。スピリチュアルとはこういうことです。

  彼は、キリストの深い泉から平和と喜びを汲んでいるのです。その泉はたえず新鮮な希望が溢れ出る泉です。決して尽きない。それはユダヤ人だけでなく、異邦人、外国人、全人類に妥当するものだと語るのです。


         (つづく)


                                         2018年5月6日


                                         板橋大山教会  上垣勝



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