人は卑小であり同時に偉大です


          第二句集「雛人形」は月別の俳句に絵手紙を配したものです。      右端クリックで拡大。
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                                           あなたはアダム (3)
                                           創世記2章6-9節



                               (3)
  さて子ども達は帰りました。今度は大人の皆さんにお話させて頂きます。

  「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」とありました。聖書は人間を過小評価も過大評価もしていません。人は土のチリ以外ではありません。だが神の命の息を吹き入れられています。

  「土のチリで形づくられた」とは、私たちの肉体は、弱く、壊れやすい土やチリ以外ではない。ちょっと力を強く加えられると潰れてしまうと言うことです。傷つきやすく、欠け易い。永続性を持たない。やがて死滅して土に帰って行くものです。

  昨日は、朝早くから電話を頂きました。余り早いので何事かと思いましたら、今、警察から電話があった。次男が自殺したと言うのです。耳を疑いました。皆さんはあまりご存知ない方ですが、息子さんは実に優秀な人だったようで、ある国際的に有名な会社のナンバー2だったのです。詳しく言えませんが、その息子さんが自殺したというのです。肉体だけでなく、心も土のチリで出来ているのかも知れません。何かがあってガタガタと崩れたのです。長男は事故死し、次男がこうで、人の弱さ、脆さを思わずにおれません。

  ところが、「その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と言われている。

  息とあるのは、霊気、精神、魂とも訳せる言葉です。ヘブライ語で「ルアッハ」と言います。「命の息を吹き入れられた。」これは神の命の息です。神の霊気、神の精神、神の魂です。

  神の命の息が土の器に入って、人は生きた者となる。神との関係をもつ時に、人は命あるものとなる。人は神の命の一断片だとも言えます。神の息を吹き入れられ、大切な命の片割れを分け与えられている。神の命の全体を持っていませんが、神の命のカケラを授けられている。だからお互いにカケラである者同士、労り合わなければならない。尊び合わなければならない。そういう意味をもっています。

  神の霊気、神の精神、神の魂を吹き入れられている。それが動物との違いです。動物と人間は共に土のチリ、原子で作られていることは全く同じです。コヘレトの言葉3章18、19節に、「人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない」とあります。意外に思われるかも知れませんが、聖書は人と動物を公平に見ています。ただ、神の息を吹き入れられた。神の息ですから、永遠の、測り尽くせない質と量の命です。それが一人一人に授けられている。

  そこに人間には文明が作られ、文化が生まれ、様々な芸術や思想や技術や制度などが生まれる源があると言うことです。人間の偉大さは神の命の息に関係し、神の魂に関係している。詩編87篇が「わたしの源はすべてあなたの中にある」と語るのは、こういう深い意味をもっています。

  まさに聖書は人間を過小評価も過大評価もしていません。あなたはアダムです。人はもろく卑小さを持ち、同時に神につながる偉大さを兼ね備えた、神に造られた存在です。パスカルが語ることでもあります。



         (つづく)

                                         2018年4月29日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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