オンギャあ。一声泣いて人間になる。


      義姉(ねえ)さんが第2句集を出しました。
         姪っこたちに毎年お雛さんの絵手紙を送って来たので「雛人形」としたそうで、名句がいっぱい。
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                                           あなたはアダム (2)
                                           創世記2章6-9節



                               (2)
  そして、「その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」というのです。神が人間を土の微小な幾つもの原子で作って、「人間の鼻に命の息を吹き入れられた。」すると人は生きる者になったと言うのです。

  皆さんはいつから息をしていますか。小さい頃から。生まれた時から。じゃあ、生まれる前、お母さんのお腹の中にいる時は息をしていなかったの?息をしていないって、死んでいたって事?さあ、どうでしょう?

  実はお母さんのお腹の中では、私たちは息をしていなかったのです。口や喉や肺に水(羊水)が一杯溜っていて呼吸など一切できなかったのです。だが、お腹から出た瞬間、息をし始めた。不思議ですね。お腹から出た瞬間に息を始めた。一回も練習をしていないのに。その時に直ぐ息をしなければ赤ちゃんは死んでしまいます。少し長く息をしないで居れば、何かの病気になってしまうのです。オンギャ。一声泣いて、息する人間になった。

  でも心配要りません。神様は、普通はちゃんと直ぐ息ができるようにして下さっているから、安心なのです。

  生まれた瞬間、最初の息をした時から、今まで一体何回息をして来たでしょうかね。計算できる人は数えてみてください。1万回?10万回?100万回?1千万回?大人の方も計算してみてください。死ぬまでに一体何回息をするのでしょう。

  神様が人をお作りになった時、「その鼻に命の息を吹き入れられた」と書かれていました。この息は神様が吹き入れられた、神様の命の息です。

  皆さんも、神の命の息を吹き入れられています。神の命の息を一度も吹き入れられていない人間はいません。私も、あなたも、皆です。

  しかし犬や猫、牛や馬、ライオン、巨大な象。彼らは神様の命の息を吹き入れられたと書かれていません。それが聖書が考える人間と他の動物の違いです。人間と犬や猫などの動物の違いは、神様の命の息を吹き入れられているかどうかということです。

  神の命の息を吹き入れられていると言うことは、神様と命の関係があるって事です。神様とつながっている。

  だから、私たち人間は神様とつながっていなければならない。神様から離れて、自分は神様なんて関係がないと考えて離れて行くと、私たちは「一番大事なもの」から離れますから、不安になります。喜びを失い、命を失うのです。自分を守るために過剰に自己防衛的になったり、攻撃的になったり、落着きを失います。中には自信を持って絶対君主のように振る舞う人も出て来ます。それも神を失っている姿です。

  糸の切れた凧のようになる。凧をあげたことがありますか。ない?じゃあ、お父さんに言ってこの連休に凧あげをしてみてください。広い場所がない?そうだよね。でも、荒川の堤防に行けばいいよ。あそこなら大丈夫だ。その凧だけれど、500mとか、1キロとかの糸で揚げると、たまに糸が切れます。糸の切れた凧は、飛んでいきます。どこに落ちるか、ひらひら舞って遠くに飛んで行きます。今は飛んでいても、その内に落ちます。落下します。しかし糸につながっていれば、神様につながっていれば、いつまでも飛んでいる。たとえ死んでも、神様と命の関係をもってつながっているのです。その時は何の不安もありません。


         (つづく)

                                         2018年4月29日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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