彼はこのままでは滅びます


     1100万冊の図書を蔵するボドリアン図書館の一部、ラドクリフカメラ。手前は中国人観光客らしいです。
                                         右端クリックで拡大
                               ・



                                           特にペトロに (中)
                                           2018年4月1日



                              (2)
  さて今日は、「特にペトロに告げよ」という言葉に焦点を当てて福音を聞きましょう。白い衣を着たみ使いと思われる若者は、「行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と」語ったとありました。

  イエスが逮捕され、十字架で処刑された時、弟子たちは全員、主を見捨てて我先に逃げました。ある者は、素肌に一枚の薄い布をまとったまま、暫らくイエスに付いて行きましたが、人々が捕えようとすると布を捨てて、裸で一目散に逃げます。

  あなたが栄光をお受けになる時には、私たち兄弟をあなたの左右に置いて下さい、イエス左大臣、右大臣にして下さいと頼みこんだヤコブと兄弟もイエスを置いて逃げたのです。

  最初の弟子になったペトロは、その兄弟アンデレと共に、網も舟も捨ててイエスに従った人物です。彼は他の誰よりもイエスの近くに仕えた弟子でした。山上の変貌にも彼はいました。余りの驚きに何を言えばいいのか分からず、あなたとモーセとエリアのためにここに記念小屋を建てましょうと語った男です。彼はイエスが受難の予告をされた時は、傍らに呼んで、イエスを諌めさえしました。ゲッセマネの園で、イエスが血の汗をたらして祈られた時もそこにいました。そこに出掛ける直前、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と大見得を切っています。

  イエスが逮捕される時、彼は隠し持っていた短刀で相手に切りつけました。先生を守りたい、守らなければならない、守ってみせると覚悟を決めたのです。根っからの漁師である彼は、飾らない、率直な男でした。裏切ったり、誤魔化すような、小細工する男ではありません。彼の覚悟はウソ偽りではありませんでした。

  だから彼は、イエスが逮捕されるや見つからないように大祭司の庭までついて行き、大胆にも夜陰の中、人々にまぎれて庭に入り、何食わぬ顔で焚火(たきび)に当りながら、イエスの身に何事が起こるかを案じ、あわよくば救出の時をと窺っていたのです。

  しかし運悪く、大祭司の1人の女中が、火に当っているペトロの顔を覗き込んで、「あら、お前さん、どこかで見た顔だね。あのナザレのイエスと一緒にいたでしょう。私、3日前に、町にお使いに行ったついでに、神殿まで足を伸ばしてお参りして来たんだよ。その時、イエスという男が神殿の崩壊を予言してたじゃあないか。あの時、お前さんはその横で、あの男を護衛するかのように立っていたじゃあないか。仲間だよね。」ペトロはそれを聞くと、反射的にすぐ打ち消して、「めっそうもありまへん。あんさんが何のこと言ってはるんか、わてには分かりまへん。見当さえつきません」と言ったのです。

  そして不審に思われないような仕方で、少しづつ出口の方に移動していると、一番鶏がコケコッコーと鳴いたのです。夜中の2時か3時頃です。すると先程の女中が、今度は大きな声を張り上げて、周りの人たちに、「この人は、あの男たちの仲間だよ」と叫んだのです。ペトロは再び打ち消しました。胸はドッキン、ドッキン、早鐘を撞(つ)き、今にも駆け出したい気持に駆られながら、今駆け出せば捕まるのは明らかだと辛くも留まっています。心はちじに乱れますが、自分は関係ないと、さも落ち着いた顔をしなければなりません。

  ところが暫らくして今度は、別の複数の人々が、「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから」と言い出したのです。なぜガリラヤの者だと分かったのか。ペトロが何度か答えた時、そのアクセントはガリラヤ訛り丸出しであったのです。秋田出身か、大阪出身か、沖縄出身か。ガリラヤの漁師訛りでイエスの仲間だと知られたのです。急所を突かれた彼は、呪いの言葉さえ口にしながら、「あんたらの言う男は、わては存じ上げまへんで。知りまへんと言ったら、絶対知りまへんのや」と誓い始めたのです。

  するとすぐ鶏が2度目に鳴いたのです。彼は外に出ると、「鶏が2度鳴く前に、あなたは3度、私を知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出して、いきなり泣き出したのです。

  若者は、「弟子たちとペトロに告げなさい」と言っていました。ここは、弟子たちと「特にペトロに」と訳す方が、意味が鮮明です。弟子たちに言いなさい。だがペトロを抜かしてはなりません。彼には必ずイエスの復活を伝え、ガリラヤで再びお会い出来ると告げてほしい。

  なぜでしょう。弟子たち、そして何よりも、大祭司の庭までついて行きながら、イエスを勇敢に証ししなかった彼への赦しです。彼はこのままでは滅びてしまいます。だがイエスは彼の涙をご存知です。彼の愛も、勇敢さも、彼の意気地なしも、イエスを慕う思いも悉(ことごと)く知っておられます。

  彼はもう一度立ち直らなければなりません。挫折の先にイエスが立っておられるからです。そのイエスと共に彼の人生がこれから拓けていくからです。


       (つづく)

                                         マルコ16章1-8節



                                         板橋大山教会  上垣勝



  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif


                               ・