わが民は大勢いる





          英語圏最古のBalliol College の創始者の一人、Dervorguilla           右端クリックで拡大
                                ・



                                          わが民は大勢いる (下)
                                          使徒言行録18章9-11節



                               (3)
  こうして、ある夜、主は幻の中でパウロに言われたのです。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 パウロは1年6か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。やっと今日の個所に着きました。

  神はクリスポなどに働きかけて、大胆にもユダヤ教を捨てキリスト教になる人たちさえ生まれました。だが、パウロは恐れを払拭し切れなかったのでしょう。「語り続けよ。黙っているな」はある英訳では、「ギブ・アップするな。降参してしまうな」と訳しています。ギリシャ人も洗礼を受ける人が出て来ていたのですが、ユダヤ人たちの嫌がらせに、彼はギブ・アップしたくなるほどほとほと参ってもいたのかも知れません。実際、次の12節以下では、ユダヤ人らによる襲撃事件が起こっていますから、弱気が忍び込んで、こんな町でもう語り続けることは出来ないと思い始めていたかも知れません。心というのはフッとある思いが忍び込むものです。それに流されるとドンドン後退します。

  そんな矢先、幻の中で、「恐れるな。語り続けよ。ギブ・アップするな。わたしがあなたと共にいる」という言葉を聞いたのです。この出来事は幻の中ですが、大きな勇気を授けたでしょう。幻でもこれを語ったのは主なる神です。神の声を聞こうとしても、夢の中でも中々聞けませんが、主が自分の状況をご存知であると知って、勇気を与えられたのです。

  しかも、「この町には、わたしの民が大勢いるからだ」と言われたのです。この町には、あなたの目がまだ見ていない、私の民が大勢いるのだ。 コリントの町には神が選んでいる民が大勢存在するというのです。

  こういう意味もあります。今は未だパウロの集会に来ていないかも知れない。パウロも当人も知らず、彼らはパウロの集会に属していない人たちである。だがやがて主の民として連なって来る多くの民が居るのだ。あなたはその人たちを掘り起こし、その人たちと出会い、その人たちを迎えればいいのだ。神が既にこの町の人に宣教しておられる。あなたは彼らを刈り取ればいいのだ。

  これに励まされて、1年6カ月の間、腰を据えて神の言葉を伝えたのです。1年半でもしっかり腰を入れて取り組む事が出来る。腰が据わると腹も座り、目の前の問題に精魂込めまた愛を込めて取り組む事が出来るでしょう。明日に引き延ばすのでなく、今日の課題を今日、感謝と共にしっかり担い始めることが出来ます。

  「恐れるな。語り続けよ。ギブ・アップするな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」これは、私たち大山教会にも語られている言葉ではないでしょうか。

  この町、この大山、この板橋近辺にも、私の隠れた民、まだ教会には来ていないが、やがてキリストへと導かれる人たちが大勢いると考えられないでしょうか。その認識があるか、ないかで、私たちの在り方が随分変わって来ると思います。重荷を負った人、悲しんでいる人、小さくされている人、貧しい人、苦労する人たちかも知れません。神の勝利を先取りするなら、心の澄んだ、愛を込めた生き方が生まれて来るでしょう。

  もしそうだとすれば、私たちは、その人たちの躓(つまづ)きにならないように、いや、むしろ少しでも主イエスを指さす人になりたいと思います。愛を持って、明るくその人たちを歓迎したいと思います。

  私たちに与えられている小さい事にも、神の恵みが含まれています。昨年亡くなられた日野原重明さんが、信仰に立って、命とは時間のことだと何度も言っておられましたが、時間である私たちの命を少しでも人に与えることが出来たら、それこそ幸せなことです。

  今日もありましたが、去年から礼拝の最初に、子どもたちと礼拝をして、10人程の方に順番に子ども達に語って頂いています。この時間は私には本当に恵みの時です。子ども達にもそうだと思います。お話し下さる方々は、ご自分の時間という大切な命を子ども達に与えておられるのだと思います。これは、自分の信仰や信仰に根ざした大切な考えを、即ち自分の命の中心を、命そのものを次の世代に伝えて行く作業です。考えてみれば一般社会にこういう世代から世代への一番大切なことを伝える伝達の場は多くある訳ではありません。ですから、そのことが出来るのは、話をする苦労はありますが、考えてみれば素晴らしい恵みの時なのです。

  命とは時間のことです。それを子ども達に差し出し、他の人たちに差し出して行くのです。こんな所にも、腰を据えて生きて行くチャンスが転がっているのではないでしょうか。そして私たちの他の一般的な日常においても、腰を据えて、愛を込めてキリストに生きる機会が転がっているのだと思います。

         (完)

                                         2018年3月18日



                                         板橋大山教会  上垣勝



  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif


                               ・