命の芳(かんば)しさ


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                                         極上のワインが出る (4)
                                         ヨハネ2章1-11節



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  イエス・キリスト旧約聖書の時代の終わりに来られました。そして新しい新約の時代を拓かれます。「新しいブドウ酒は新しい革袋に入れるべきである」と言われたことがありますが、イエスこそは新しいブドウ酒、芳醇な、馥郁として香り高い、神の国の喜ばしい福音を告げに来られた方です。また神と人の関係を新しく回復するために十字架に架かられた方です。

  その福音は旧約のユダヤ教の律法とは比較にならない、喜び、愛の薫り、豊かさ、真理に満ちています。律法と比較すれば言わば月とすっぽん。その香り高さは律法を遥かに凌駕(りょうが)し、見識においても価値観においても度量に置いても比べ物になりません。真理の美酒こそ、私たちを喜びで満たし、真に力を与えるものです。

  それは神の独り子、キリストの芳(かんば)しさです。それは私たちの汚れを清め、新しい命の芳しさで満たして下さるものです。まさに最高の美酒と言えるものです。誰でも飲む者は、命を授けられ、永遠の命に至る水が、その人の内側からも湧き出すでしょう。福音は私たちを極上の美酒で心地よく酔わせ、生きる喜びを授けます。この美酒を知ったら、どんなアルコール中毒者も、アルコールを捨ててこの美酒の方に鞍替えできるかも知れません。鞍替えしていい美酒です。決して損にならない。

  それにしてもカナの婚礼の話は大げさ過ぎないでしょうか。幾ら大勢の客が居るにしても、120リットルの6倍ものブドウ酒を用意するのは余りに過剰ではないでしょうか。いや、この話が言おうとするのは、キリストの恵みは飲み尽くすことは出来ないということです。恵みは無尽蔵である。

  また、イエスが私たちの生活に入って来られるなら、私たちの中にイエスをお迎えするなら、私たちの水がブドウ酒に変わる。これまで値打ちなかったものさえ、素晴らしい値打ちあるものに変えられるということです。イエスを迎えた人には、そこはかとなく香りが漂うのです。律法的でない福音の香りです。

  召使たちはイエスの言葉を忠実に実行したのです。途中、苦労が多かったし躊躇もあったが最後まで忠実だったのです。だから世話役も知らないこと、水がブドウ酒に変えられたことを経験したのです。世話役もお客も極上のワイには与ったものの、一番大事なそのいわれについてついぞ知りえず、ただ懸命に忠実に実行した彼らだけが、苦労と引き換えに奇跡をも起されるイエスの素晴らしさにじかに触れたのです。

  カナの婚礼の話は次の言葉で終わっています。「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。」世話役たちと共に弟子たちもイエスの素晴らしさにじかに触れたのです。


      (完)


                                         2018年3月4日




                                         板橋大山教会  上垣勝



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