宴のたけなわ


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                                         極上のワインが出る (2)
                                         ヨハネ2章1-11節


                               (1)
  「3日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた」とありました。

  ガリラヤのカナは内陸部の高原の町です。昔はひなびた村でしたが、2千年後の今は2つの教会が建っています。1つはカトリック修道院、もう一つはギリシャ正教会です。20年程前に行った時、教会から外に出た時、大きなジャスミンの群れから香り高い匂いが頬をなぜる風と共に爽やかに漂って来ました。大山教会のジャスミンはカナのジャスミンからヒントを得て植えたものです。

  そのカナに婚礼の祝宴があり、イエスの母が居たのです。彼女は少女時代からあちこちの家でお手伝いして暮らしていたので、この時も結婚式の祝宴の手伝いで来ていたのかも知れません。母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言ったとありますから、台所にいて、いち早く気づいたのでしょうか。ただイエスも弟子たちも招かれていましたし、12節では兄弟たちもいた様ですから、ごく近い身内の結婚式であったかも知れません。

  イエスは婚礼に呼ばれて弟子たちと来ました。イエスという方は厳しい、シャチコ張った、堅物ではなかったのです。むしろ陽気な楽しい席にも進んでにこやかに行かれる人だったのでしょう。

  祝宴は1週間程続きます。披露宴で欠かせないのは羊や子牛の美味しい肉料理とワインです。ワインが適度に体に廻って、歌が出、踊りが出、若者も老人も陽気になります。おなじみの音楽が奏でられ、歌い手が登場して、若い乙女たちが華やかに着飾って踊り、若者たちも輪に入り一段と盛り上がって行きます。

  ところが、宴のたけなわ、ワインが切れたことに母が真っ先に気づいたのです。大勢のご近所や村の重鎮たちも来ている婚礼でワインが切れるのは大失態です。新郎新婦の両家は、これまで生活を切り詰めて長く費用を貯めて来たでしょうに、ワインが切れたからと言って酔いに任せて大声を出す者や、この家はやっぱりケチな家だとか、いっつも手筈がまずいとか、これを契機に色んな噂が広まる事にもなりかねません。

  「ワインがなくなりました。」母から言われたイエスは、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と語ったとあります。

  母に向かって冷たい言い方だと思うかも知れませんが、翻訳のせいもあります。ここは、「母上、私もあなたも心配することではありません」という意味です。私たちが出しゃばる場所ではないとおっしゃったのです。ただ、「わたしの時はまだ来ていません」という言い方に、ワインとご自分の関係を特別に考えておられる節があります。特に「私の時」を強調しておられることが気になります。

  結論を言えば、「私の時」とは、イエスの十字架の時、弟子たちと最後の杯を飲み干される最後の晩餐の時のことです。そのようなご自分の人生のクライマックスの時、十字架で神の栄光を現わす時はまだ来ていませんと言われたのです。

  しかし私たちの予想と違って、母は息子の言葉を殆ど気にせず、召使らに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と頼みました。その通りにして下さいとは、たとえそんなことは無理だと思えたり、そんな事をしても少しも問題の解決にならないと思えたとしても、その通りにして下さいということです。


      (つづく)


                                         2018年3月4日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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