主のもとに宿る


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                                                故郷を慕う (上)
                                         詩編90篇1-12節
                                         ヘブライ11章13-16節



                               (序)
  子ども達は90編12節を熱心に聞いてくれましたね。面白かったです。自分に残っている人生の日数を知って、どう思ったでしょう。お年玉が5万円だっていうのもありました。やっぱり日数でなく、円に直したのが身近でよかったです。また生きている事と死ぬ事との境が薄い紙一枚だなんて、意味が分かりましたでしょうか。それにしても箱入りのティッシュを一枚にはがしたのと、ポケット・ティッシュを一枚にしたのと、あれだけも薄さが違うなんて思いませんでしたね。そして「生涯の日を正しく数える」という事は、私たち大人にも色々考えさせられました。

                               (1)
  さて、詩編90篇は「モーセの祈り」となっています。彼が神との交わりの中で祈り、そこで悟りもした言葉でしょう。もしそうなら、この詩は今から3,200年も前の非常に古い、人類の知的文化遺産と言えるでしょう。日本では縄文時代です。

  「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。 山々が生まれる前から、大地が、人の世が、生み出される前から、世々とこしえに、あなたは神」とありました。

  唯一のまことの神に「主よ」と呼び掛けて祈っています。「宿る所」とありますが、逃れ場や避難所の意味があり、また端的に私たちの家、ホーム、安心でき寛げる場所の意味もあります。

  最初の意味を取れば、主なる神は、世々、私たちの逃れ場。危険が迫り、悩みが増大し、苦難が酷くなって助ける者がない時、あなたは私たちを危険から避けさせてくれる避難所だと歌っています。モーセはそこで力を回復して、再び外に出て行ったのでしょう。

  「人の世が生み出される前から」、人類が地上に出現する遥か昔からです。大地が生み出され、動物、植物、海の魚、生き物が生み出される以前から、あなたは神。世界史を貫き、人類史、地球史を貫いて、永遠から永遠に渡って神であられると語るのです。即ち、あなたの前には、神はなく、あなたの後にもいかなる神もない。唯一、あなたこそが神であると歌います。

  1節、2節は素晴らしい言葉です。私が心打たれるのは、私たちはこの世に宿り、この国、日本に住んでいるが、それ以前に、それ以上に、主のもとに宿る存在である。主のもとに生きる存在である。生きるのも死ぬのも、主のもとに宿り、主が私たちの安心できるホームであると歌っていることです。私たちは主のもとにあって生きる宿り人である。人生と人間のこの根本を知る人は、必ず大きな安らぎを知るでしょう。私たちは生きるのも死ぬのも主のもとにあり、主がご存知でない世界はないのです。

  山々の成り立ち、海や大陸がどう造られたか、何億年前にどうだったかを科学は問題にしますが、それらが造られる前からあなたは私たちの神。人が存在する前から、世々あなたは神であられる。

  神は遠くにいて、私たちは遠くの神に祈るのでなく、私たちは世々に神に宿りつつ神に祈るのです。生と死も治めている神が宿でありホームですから、死の不安や苦しみは実際には問題ではないのです。主の手に生も死も守られてある安らぎです。神の許しがなければ、一羽の雀も地に落ちる事はないとはこのことです。

            (つづく)

                                         2018年2月25日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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