心が澄んでいること


           地中海生まれの満開のミモザが春の香りを庭いっぱいにほのかに放っています。
                今日もツバチが訪れてやさしい羽音が辺りに漂っています。
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                                          職業で神に仕える (下)
                                          出エジプト記1章11ー22節



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  だがこんなことがあったので、ファラオはイスラエルの全国民に命じました。「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」助産婦たちのせいで、とんでもない事が起きます。2人はファラオの命令に従った方が良かったと言えないでしょうか。

  22節では、実際にそう見えます。だが聖書はそう考えないのです。弾圧は一段と厳しくなりました。だがそれと共に、出エジプト記本来の出来事がこれを契機に始まって行くのです。それが、モーセが率いた出エジプト記全体で記される事件です。モーセは神を畏れ、信仰を貫いていきます。そこには2人の助産婦の影響があったでしょう。恐らくモーセアブラハムから流れるその伝統を引き継いだのです。

  夜の闇が深くなるにつれて、夜明けが近くなります。だが、夜の闇を恐れて尻込みしていれば、いつまでも新しい社会の朝は明けません。朝の来るのを遅らせます。「わたしは福音を恥じない」。私たちはパウロが語った信仰を持って生きたいと思います。

  神は人を通して世界の歴史に介入されます。「職業で神に仕える」という事は小難しそうですが、小難しく考えてはいけません。助産婦たちが職業で神に仕えたのは単純な動機です。ただ神を真に畏れ、福音を恥じなかったからです。この単純な生き方が職業において神に仕えるように導いたのです。

  Aさんがこんな手紙をくれました。「主の御名を讃えます。大塩先生の天に召されたことを知らせて下さり有難うございました。…色んな事が思い出され涙が出ました。淋しいですね!!私がまだ千葉のベテスダにいる頃、毎年、8月になるとベテスダに来て礼拝でお話し下さいました。思い出します。

  大山教会でも、何人かの人が次々と亡くなったそうで、一人一人にご冥福をお祈りします。特に森田さんが急に亡くなったとのこと、びっくりしました。相談してるみたいな!!でも教会では、(天にある者も、地にある者も)共に、一緒に礼拝をしていることを覚えながら、生きていくことが出来ますよう祈ります。かしこ。」

  皆で相談してるみたいに逝ってしまったというのです。言われれば本当にそんな気がします。そして、これからは地上の私たちだけでなく天にある者も地にある者も、共に神様を礼拝していることを覚えて生きて行きましょう。キリスト教の大変重要な考え、神学を書いておられるのです。足が悪く、腰が曲がり、左手にも障碍がある徳山さんは、左目も悪くあれやこれやで青年時代から長く施設でおられました。私より若いですが、学校に行けなかったので字も十分書けません。だが物事を自分の頭で考えておられます。心の澄んだ手紙を書かれます。心が賢いのだと思います。素朴に真実なことをサッと書かれるのです。素晴らしいコミュニケーション力です。

  心が澄んでいること。クリスチャンは、人間は、心が澄んでいなければいけません。心が澄んで濁っていないこと。複雑に考えない事。これが大切です。こういう心が単純に神に仕える事へと導くのです。



     (完)

                                         2018年2月18日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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