チラッと見せて誘惑


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                                           繁栄の方法Ⅱ (上)
                                           ルカ4章1-8節



                               (序)
  前回、「繁栄の方法」の前半だけで終わりました。それで、先ずお話したことを短く振り返りますと、イエス様は洗礼後、すぐ聖霊によって荒れ野に導かれました。しかも40日40夜、極限まで断食され、そこに悪魔が来て誘惑を始めた。それが前回に取り上げた荒れ野の誘惑の事件でした。

  イエスの空腹が極限に達するのを、悪魔はじっと我慢して待って、時が来たと見ると素早く魔の手を動かしたのです。悪魔は、イエスの神の子という自覚に付け込んで、「君が神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」と、実に巧妙に誘って来ました。

  「神の子なら」奇跡を起こし、自分が神の子であるのを世界に向かって明らかにしたらどうだ。また、荒れ野に無数にある石をパンに変えて、貧しい人々を助けてはどうだ。飢えを満たすことは愛の中心だ。先ずパンを与える革命を起こせ。そういう誘惑もここに含まれていたでしょう。

  それに対してイエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と答えられました。人が生物である限りパンは必要です。だが人の本質はパンだけで生きるものではない。それは非常に一面的で、浅い考えだということです。

  「人はパンだけで生きるものではない。」これはいかに人と人生の本質を突いた言葉でしょうか。ここには文化的な香りが漂い、精神的な深みがあります。人はパンだけで生きるものでない。この認識から、人は物質のみでは充足することがなく、愛の尊さが生まれたり、思い遣りや、詩や歌や音楽が生まれたり、様々な文化が生まれ育つのではないでしょうか。

  前回申しましたように、ベートーベンは、あの不幸を用いて歓喜を鍛え出したのです。彼は、「悩みを突き抜けて歓喜に至れ」と記したのです。「パンだけで生きる。」そういう所からは、このような歓喜、このような命ある精神は生まれません。

  また、マタイ福音書では、「人はパンのみにて生きるにあらず。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と語って悪魔を撃退されたとありますが、ここに人類の最も大事な精神的基盤があります。人の本質にかかわる、これを失えば人が人であることをなくす何かです。「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」とは、神と人との関係、絶対者との、神との縦の関係こそ、人間が生き、生かされる根源的なものだという事です。それを失えば、人として元も子もなくなるものです。それをイエスは荒れ野の第1の誘惑の時に語られたのです。

                               (1)
  次に5節以下で、「悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。『この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。』」これが今日取り上げるところです。

  何事も素晴らしいものをチラッと見せるのが一番欲を掻き立てますね。チラッと見たことで誘惑されます。イエスも素晴らしいご馳走に舌なめずりするに違いないと思って、一瞬のうちに見せたのでしょう。凡人なら思わず喉から手が出て、「くれ、くれ、くれ、くれ、それをくれ」と、なりふり構わず叫び出したかも知れません。腹をすかしたエサウは、「その赤いものを、その赤いものを急いでくれ、死にそうだ」と、目先の食い物のために大事な長子権を弟に譲りました。素晴らしい富と繁栄、そして権力をぜひとも得たい。「私は繁栄の方法をぜひ知りたい。」これは私たちの正直な思いかも知れません。だからつい危険なものに手出ししてしまう。

  イエスの欲望を掻き立てたと思った悪魔は、次に、国々の一切の権力と繁栄は、「わたしに任されている」と言った。これはむろん偽りですが、何と凄いことを悪魔は語るのでしょう。悪魔を拝むなら、必ず一切の権力と繁栄は来る。ここに君の繁栄の方法があると言ったのです。もし権力と繁栄を築いた人がこれを聞けば、自分は悪魔を拝んだり、悪魔と取引したりしている訳ではないと言って、気を悪くするかも知れませんが、悪魔は実に正直で、ズバッと世の一つの真相を言い表わしたということでしょうか。

  「わたしを拝むなら、みんなあなたのものになる」とは、無論、私を神として仰ぐなら、私を全ての中で最高の価値とし、私に仕えるなら、という意味です。悪魔はもの凄いものを要求してきます。私に忠誠を誓って、君は社会的政治的救済者として立てという事です。

  するとイエスは、「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」とお答えになりました。

         (つづく)

                                         2018年1月28日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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