Aさんの前夜式〈お通夜〉


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                              前夜式


                                      マタイ10章26―29節
                                      2018年1月15日(月)午後7時
                                      於 板橋大山教会礼拝堂



                               (1)
  A・Bさんは、時代の雲行きが危うくなりつつあった世界大恐慌の年、満州事変の勃発する直前の1929年(昭和4年)12月18日に長崎県時津(とぎつ)町でお生れになり、この13日の土曜日の朝、88才で主の許(もと)に召されました。

  A・Bさんは、最初のご主人さんを思いがけず20代後半に胃がんでお亡くしになり、その後人生の複雑な試練を多々舐(な)められました。10代で長崎市の郊外の駅で被曝をしておられ、それだけでも大変な不安と重い十字架だと思いますが、それとは違った想像もしない別種の試練や苦難を受け、人生の紆余曲折を辿られました。

  聖書に、「人の心には多くの計画がある。しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ」との言葉がありますが、どんなに人が綿密に計画してもうまくいかない事や、路線を大幅に変更しなければならないことが人生にはあります。そういう事のない幸いな方は、心から幸運を喜ばれるのがいいでしょう。Aさんはそれを20代後半から、30代、40代と経験なさったのです。だがこれは決して悪いことばかりではありません。苦難を通って、初めて人生とは何か、人生の現実と実際に出会われたからです。

  聖書の詩編に、「涙と共に種を蒔(ま)く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」という言葉がありますが、Aさんは涙と共に良い種を蒔かれました。重い種袋を背中に背負って、額に汗し、唇を噛みしめながら人生の畑で種を蒔かねばならないこともありました。だがその労苦はやがて実を結んだと思います。「喜びの歌を歌いながら帰って来る」とありますが、それは薄っぺらな喜びでなく、磨きに磨いて底光りするような喜びの結実でした。昔は、廊下や柱をヌカ袋で磨き、年月の経る間に底光りする建物になりましたが、そのような底光りする喜びがAさんの人生にあったのです。

  初めて教会に行かれたのは40才頃。ご主人が医者で、諫早に病院を開業していた母方の叔母さんに誘われてでした。だが、その時は長く続きませんでした。

  そして1986年、57才で長崎を引き払って、板橋区のご長女の所に来られました。やがて次々お生れになる3人のお孫さんのお世話をするためです。ほぼ32年前です。

  ご長女のもとでやっと平穏な日々を送ることになり、本当に安心できるようになりましたが、既に長崎で難病のクローン病を発病して長期入院を何度もしておられ、上京後もクローン病が付き纏いました。人生の半分は、今なお医学で解けない厄介なクローン病との闘いだったと思います。クローン病との闘いと一口に申しますが、私などは分かりません。発熱と下痢と腹痛が酷く、潰瘍が出来た大腸を次々と切除してすっかりなくなり、小腸も次々切って短くなり、やがてごく僅かに一部を残すのみとなられました。この部分は最終的に人間が生きていくために不可欠の部分です。実はそこも悪いが、生きる為にやむなく残しているとお聞きしました。何年も何十年もエレンタールの飲み物だけで命を維持し、時々僅かのお粥(かゆ)。まさにギリギリの崖っぷちで生きておられたのです。

  そのため腸閉塞で5回の開腹手術を受け、30年間に何と15回の長期入院をし、短期の数週間の入院は数えることができないのです。88才と1カ月でしたが、100才まで生きたに等しい方と、昨日の礼拝で申し上げたのは、この事です。

  そうした中、今から12年前、76才の時、平日に、イギリスから帰国して着任したばかりの私たちがいた大山教会を訪ねられました。ご長女はご主人様との共稼ぎでお忙しく、上京後は3人のお孫さんのお世話で長く忙殺されましたが、やっとお孫さんたちから手が離れ、「そろそろ自分の魂の求めを満たしたい」という思いが募って、教会の門を叩かれたのです。3人のお孫さんのご長女が先ず成人なさった頃です。「そろそろ自分の魂の求めをしたい。」そのように80才の時に、教会の50周年の冊子に書いておられます。

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  先程の聖書に、「人々を恐れてはならない」と言われた後、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」とありました。イエス・キリストの言葉です。Aさんは、そろそろ自分の魂の求めをしたいと考えられたのです。自分の魂の求めです。平易な言葉で人として一番重要なこと、凄いことを言っておられると思います。

  色んな試練を受け、人生において十字架を担う中で、人として一番大切なことに気づいて行かれたのでしょう。普通なら気づかず、言わば、「食った、生きた、死んだ」。それだけで終わってしまう80年、90年の人生を、Aさんは数々の複雑な試練と病気に翻弄されながら、その只中で魂を養って行かれ、魂を滅ぼすことのできない者を恐れず、魂も体も地獄で滅ぼすことのできるお方、人生と世界において最終的な権威をお持ちのお方、生まれ死んで行く人の命の根源であるお方、私たちの魂の求めを満たして下さるお方に出会い、ただその方だけを畏れ、敬い、生きるようになられたのです。

  これこそ災い転じて福となるというか、災いが転じて自分の魂の求めが満たされる迄に導かれたのです。聖書は別の個所で、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」と述べています。これもAさんのお好きな言葉でした。万事を益として下さるお方が、Aさんの魂に出会って下さったのです。

  Aさんは強い方だったと教会の方々は言われますが、彼女は心の密室のような誰も入りこめない場所で、神に出会っておられた故に、あのように体重は軽く、手足は細く、そよ風が吹いてもよろよろとひ弱で倒れそうに見えましたが、自分は強くないが、主によって強いという、神による信仰の強さを授けられたのだと思います。

  その強さとは、明治になる直前、当時武士中の武士と言われた奥野昌綱という人が、打ち首を恐れず密かにキリスト教徒になり、「彼らは私の首を打ち落ち押せても、私の魂を打ち落とすことは出来ぬ」と言ったといいますが、Aさんの信仰もその根を辿れば、そこに達する強さを授けられたと思います。

  人は皆、孤独です。その孤独の密室で心を満たして下さる方は、私たち全てに、その密室で出会って、魂を慰め、喜びで満たして下さる方ですが、そのお方に出会われたのです。

  亡くなられる2日前、2人の教会の婦人が病床を訪ねました。近づくと、ベッドの中でお顔を輝かせて、「ああ、Cさん!」と嬉しそうに、元気な声をあげられたそうです。そして帰る時には、「また黒豆の煮物を作って教会に持って行くからね」とおっしゃったそうです。その日は未だ車椅子に乗ってお手洗いにいらっしゃったのです。

  だが翌々日の朝に急変して、ご家族の皆さんに見守られながら天に召されました。私が帰って直ぐのことです。血圧がゆっくり降下し、夕日が美しくゆっくりと音もなく西の海に沈むかのように、呼吸が段々間遠になり、やがてスーと水平線のかなたに陽が没するように、旅立たれたのです。

  ご家族の皆さま、長い間ご苦労さまでした。心から感謝を述べて逝かれたと思います。

  地上は1人減じたり、だが天に佳き人1人加えたり。天での再会を楽しみに致しましょう。




                                         板橋大山教会  上垣勝



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