悪魔の手の内


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                                            繁栄の方法Ⅰ (下)
                                            ルカ4章1-8節



  (昨日からの続き)

  天からのこの声はイエスの最高の喜びだったでしょう。「あなたは私の愛する子、私の心に適う者。」あなたはそれでよし。私の心に適う子だ。この声は、その後の伝道生活を励まし、絶えず新しく命を与える力の源になったでしょう。伝道だけでなく十字架に至るあらゆる時の支えでした。

  ところが悪魔は、神の子というイエスの旺盛な自覚に付け込んで、「君が神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」と、突っ込んで来たのです。悪魔は実に巧妙です。誇りや喜びまでもうまく突いて来ます。誰しもそこが一番脇が甘いからです。

  「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」奇跡を起こし、自分が神の子である証明を世界に向かってしたらどうだ。自尊心を突いたのです。

  それだけではありません。荒れ野ですから周りに大小様々な石がゴロゴロ無数に転がって、遥か地平線まで続いています。

  石ころをパンになるように命じたらどうだ。無数にある石をパンに変えれば、貧しい人々を養い、豊かに富ませる事ができよう。飢えを満たすことが愛の中心だ。先ずパンを与える革命を起こせ。そういう意味もこの誘惑には含まれていたでしょう。

  神はアダムに、「お前は顔に汗してパンを得る。土に帰る時まで」と言われたと創世記3章にあります。農業というのは、石をパンに変えることではありませんが、ある意味で汗と涙をパンに変えることです。何万年も人類は、誰しもいわば額に汗して、汗をパンに変えて生きて来ました。汗の尊い結晶がパンです。どういう労働でも、苦労し、汗を流し、泥まみれになって働く労働は尊いものです。泥まみれとは、人間関係の泥まみれも含みます。

  しかし最近は、これまで自然にあったものを遺伝子組み換えなどでより値打ちのあるものに変えようとし始めています。この間テレビで、普通の鯛でなく、もっと身の多い太った鯛を作る時代になったと報じていました。しかしそこに思わぬ副作用の落とし穴が危惧されています。牛乳を大量に出す牛。羽根などは不要で、肉に栄養が多く行って肉が多く美味しい鶏を作り出す。肉の増量のために胴体の長いブタを作るなどという研究です。今の農学部畜産学部はのんびりした学部でなく、遺伝子工学の研究が増えています。科学が今していることは、単純化すれば、出来るだけ安い資源から良いものを大量に作る。その極限は、石をパンに変える技術でしょう。

  化学は錬金術から始まりました。錬金術が進んでいたのは、鉄をゴールドに変えよとするいかさま師たちの群がる鉄工所に似た工房でなく、それは何と、修道院で始まり、修道院で進化します。それが出来れば、人のためになろうから、です。だが今は、人のためと言うより金儲けのためです。看板は人のため、中身は金儲け。そこに問題を孕(はら)みます。

  ウランを掘り起こし原子力発電の燃料としようというのも、基本は錬金術的な発想、石をパンに変えるという発想です。ただ燃料にはできますが、放射能死の灰という余りにも怖い副産物が待っていました。それが今人類に多くの影響を与えている訳です。北朝鮮問題も核兵器、核爆弾という放射能の問題です。人類は石をパンに変えるという悪魔の誘惑に乗せられて、ウラン鉱石という石をエネルギーに変えるまでは良かったが、その副産物に苦しめられることになっています。

  悪魔は、人々のために、人々を愛するために、パンが必要だと申します。だから君が授かった能力で石をパンに変えよと誘惑したのです。

  それに対してイエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と聖書の言葉で答えられました。人が生物である限りパンは必要です。だが人の本質はパンだけで生きるものではないのです。それは非常に一面的で、浅い考えです。

  パンだけで生きると考えるところから、過剰な経済優先が生まれ、自国第一主義ないしは自分第一主義が生まれ、必然的に他の人を排除する痩せ細った考えが生まれます。それは決して他のものに負けてはなりませんから、競争が激しくなればデータを改竄(かいざん)してごまかしたり、何かの手抜きで人件費や原料費を浮かし、競争相手に毒を盛ることさえ仕出かしかねません。勝つために手段を選ばずということになる。日の丸を負って出発した宇宙飛行士の金井さんまで、宇宙船のソユーズに乗ってから9センチも背が伸びたと偽りの発表をして謝罪しました。外国の新聞は謝罪と書いています。ただこれは金井さんの冗談だったと信じたいものです。

  「人はパンだけで生きるものではない。」これはいかに人と人生の本質を突いた言葉でしょう。ここには文化的な香りが漂っています。精神的な深みがあります。人はパンだけで生きるものでない。この認識から、愛が生まれ、詩が生まれ、思い遣りも、歌も生まれ、様々な文化が生まれ育つのではないでしょうか。

  ベートーベンは不幸な、貧しい、病身の、孤独な人間でした。だが自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出した。ロマン・ローランはそう書いています。ベートーベンは、「悩みを突き抜けて歓喜に至れ」と記しました。第9の歓喜がそれです。「パンだけで生きる。」そこからはこの歓喜、この命ある精神は生まれません。

  マタイ福音書では、「人はパンのみにて生きるにあらず。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と語って悪魔を撃退されたとあります。

  ここに人類の最も大事な精神的生命があるということです。人の本質にかかわる何ものか。それを失えば人が人でなくなる何ものかがあります。それは、「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ことだ。神との関係という人の根源的な根っ子の命です。それを失えば、人としての元も子もなくなるのです。

  今日は礼拝後の集まりも考え、ここまでで終わります。来週ではありませんが、次回にこの続き、本題の「繁栄の方法」をお話しいたします。

       (完)

                                         2018年1月14日


                                         板橋大山教会  上垣勝



  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif


                               ・をお話しいたします。
       (完)

                                         2018年1月14日


                                         板橋大山教会  上垣勝



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