素早く魔の手を動かした


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                                            繁栄の方法Ⅰ (上)
                                            ルカ4章1-8節



                              (序)
  今日は柩におられるBさんと日曜日の礼拝が出来てよかったです。こういう礼拝は殆どありませんが、きっとBさんも、地上での最後の礼拝がこんな形ですることになって喜ばれているでしょう。Bさんは昨日の朝、88才で召されました。だが百才まで生きたに等しい方だったと思います。人の数倍の試練を受けられたからですが、良いお子さんやお孫さんに囲まれたからこそその荷を負う事が出来たと思います。

  また、Aさん、先程は子ども達へのメッセージを柩の前でして下さりありがとうございました。荒れ野の誘惑でした。なるほどと何度も思いましたね。今考えたんですが、Aさん、仕事を辞めて牧師になりません?それだけは絶対イヤだ、ですって?でも、これは悪魔の誘惑ではありませんよ。ぜひ考えてみて下さい。私が引退した後、継いで下さると安心ですね。

                              (1)
  さて1節に、「荒れ野の中を“霊”によって引き回され」と、霊という言葉が出て来ます。これは人の霊とか、週刊誌などで言われる守護霊とか背後霊とか、得体の知れない霊ではありません。英語では大文字で書かれる霊、神の霊、聖霊の事です。イエスは洗礼を受けた後、聖霊が注がれ、霊に満ちてヨルダン川からお帰りになった。その神の聖霊に引き回されたのです。

  聖霊による喜び、希望と言います。イエスは神の霊に満たされて喜びを持ってガリラヤの町に帰り、同じ聖霊により荒れ野を引き回され、40日間悪魔の誘惑を受けられたという事です。

  洗礼を受けると何か良いことがあると考える人がいます。新しくなれる、逞しくなる、良いことが起る。だがそれは安易です。イエス様は洗礼後、すぐ聖霊によって試練に導かれた。しかも40日40夜、極限まで断食されて、そこに悪魔が来て誘惑を始めた。それが今日の聖書が語ることです。

  40日というのは、イスラエルの砂漠の40年間や、モーセの40日間の断食(出エジ34)と関係があるでしょう。40は完全数です。力が尽きるまで、人間の限界まで断食されたという意味です。

  「40日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った」とあります。イエスの空腹が極限に達するのを悪魔はじっと待って、時が来たと悟ると素早く魔の手を動かしたのです。

  「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」神の子ならとは、洗礼の時に聖霊が鳩のようにイエスに降って、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」という声を聞かれたことを指すでしょう。

       (つづく)

                                         2018年1月14日


                                         板橋大山教会  上垣勝



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