かったるい小言?


    この素敵なレディのシューズがアンブルサイドで僅か3千円。なんと安い!
               人々はみな一足買わずに、奇妙なことに片方の靴だけ買っていました。
                          よく見るとチョコレートでした。
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                                            逞しい少年 (上)
                                            ルカ2章39-52節



                               (序)
  新年最初の礼拝を皆さんとまた先程は子どもたちと迎えることができ、心から嬉しく感謝いたします。町ではクリスマス・ツリーの影はどこにもありませんが、今日は未だここにクリスマス・ツリーやリースが飾られ、クリスマスの余韻が残っています。今日はまだ降誕節第2主日です。降誕節はこの後もしばらく続きます。クリスマスは12月25日に祝えばそれで終わりではありません。それは商業ベースの金儲けのためのクリスマスであって、今からこそイエス様の誕生の意味を深く味わう時期になるのです。ですから、私たちの教会では1月一杯はツリーもリースも飾ったままで礼拝を持ちます。これが本来のクリスマスの守り方です。

                               (1)
  今日は「逞しい少年」という題です。イエスは生後40日目に両親と宮詣をしました。先週申しましたように、聖家族は40日間ベツレヘムの馬小屋で生活したのでしょう。お産後の母親にとっては辛い日々だったに違いありません。こんな環境で、よくも産後の肥立ちがうまく行ったと思います。そして宮詣での後ナザレに帰りましたが、「幼子は逞しく育ち」、知恵に満たされ、神の恵みに包まれて育ったのです。そしてやがて12才を迎え、利発な少年になったイエスが41節以下に出ています。

  利発と申しましたが、イエスは学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問をしたりして、人々は「イエスの賢い受け答えに驚いていた」とあります。しかし、原文は「肝を潰さんばかりに驚いた」という意味で、正常な所から逸脱する程の驚きを指します。学者たちも大抵は、早熟な優れた知識人だったでしょうが、肝を潰さんばかりだったのです。

  去年は藤井聡太4段が将棋界に彗星のごとく現れ、ご婦人たちはその名を初めて耳にされたでしょう。中学2年生で並みいる5段、6段と言ったプロをなぎ倒し、29連勝の偉業を成し遂げ、将棋には名人戦とか竜王戦とか色々ありますが、暮れには王座戦予選で豊川7段も下しました。ここに出て来る学者たちもその世界ではひと角の学者だったでしょう。彼らも各々彗星のごとく登場した人物でしたが、この12才の少年の受け答えに全く舌を巻き、肝を潰さんばかりに驚いたのです。

  一方、両親は方々探して、3日目にやっと神殿の境内で大人たちと論じているイエスを見つけて、母マリアは、「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と言ったとあります。母親は、イエスが学者らと何を論じ、何を答えていたかなど、大切な話の内容には構わず、小言を言ったのです。

  まるで木に竹を接ぐようなちぐはぐな塩梅ですが、そこが母親の態度として妙に現実味があります。イエスに対してすら、母親というのは今風に言えば、「かったるい」、小言を言う存在かと考えると、実にユーモラスです。ゲーテはある本の中で、「身近にいるはしためは偉人を知らない」と言うような事を言っていますが、そういう面がここにあります。木を見て、いや木の小さな傷を見て森全体を見ないのです。

  イエスはその母に、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と答えられました。

  むろん今日の私たちには、イエスは、真の意味では神だけがご自分の本当の父であると証しされたのだと分かりますが、両親には意味不明な言葉でした。意味不明ですが、イエスはご自分の本当の姿を初めて世に示唆された訳です。

  ところが神を「ご自分の父」だと証しされたイエスはナザレに帰ると、「両親に仕えてお暮らしになった」とあります。またイエスの知恵はますます増し、背丈も伸び、「神と人とに愛された」のです。これは非常に考えさせられることですね。ここには大変深い意味が含まれています。

  学者たちと対等に論じる姿からして、イエスは既に両親を遥かに超えていたでしょう。人間的にも偉大になっておられた。だがナザレに帰ると両親に「仕えてお暮しに」なったのです。仕えてですよ、お暮しになった。そして30才になるまでの18年間ほど、妻を迎えずに父親の大工を手伝いながら、マリアとヨセフの持つ長所も色々あったでしょうが、父母の弱点を受け入れ、弱さを担い、母親の「うざったい」小言もしばしば聞きながら、地上の両親に仕えて暮らすと言う生き方を貫かれたのです。これはとても示唆深いです。

       (つづく)

                                         2018年1月7日




                                         板橋大山教会  上垣勝



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