カミソリのように切れる男


アンブルサイドのメソジスト教会。大教会でしたが、05年に国教会の隣に移り時々一緒に礼拝しています。
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                                            不安を抱く王 (中)
                                            マタイ2章3節



                               (1)
  さて3節は、「ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」とありました。このヘロデ王というのは先週のルカ福音書でも出て来たヘロデ大王のことで、非常に疑り深く、異常なほど猜疑心の強い男です。異常な男というのは大昔だけでなく、少し前ではヒットラーや、今アメリカの大統領などもかなり異常ですし、北朝鮮もそうでしょう。ヘロデは部下や親戚だけでなく奥さんまで殺し、それでも気が済まず更にその母を殺し、息子2人も次々殺して支配を盤石にしました。果たしてそんな事をして盤石になったかと思いますが、そんな事を仕出かした王です。

  この王が、東方から来た学者、即ち博士たちですが、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは拝みに来ました」と言ったのを伝え聞いて、「不安を抱いた」のです。元の言葉では、酷く混乱する、うろたえる、動転するという言葉が使われています。相当酷いうろたえようだったのが窺われます。

  彼は、危険分子の登場に不安を抱いたのでしょうか。やがて「ユダヤ人の王として生まれた者」がクーデターを起し、自分を滅ぼす、追放するかも知れないと考えたのでしょうか。

  しかし原文の言葉からは、それ以上の不気味な不安を抱いたように見えます。それは反乱が足元から起るのとは違う、何か得体の知れないものが登場しようとしていることへの不安です。名乗りを上げて攻めて来る明白な敵でなく、東方から奇妙にも星に導かれてやって来た学者たちが、何ら警戒感を持たず、まるで子どものように、「ユダヤ人の王として生まれた方はいずこにいますか」と都の者たちに天真爛漫に尋ねている姿に、何とも掴みどころのない得体の知れぬ不気味さを覚えたのです。これは人の力では手に負えない、人間を越えた存在が現われたのでないかと言った、不気味な不安だったと言っていいでしょう。そしてエルサレムの人々も同じだったのです。

  もしこのヘロデが、ユダヤ人の王としてお生れになった方とは、何と素晴らしいことかとか、まことの王、平和の王が自分の後にお出で下さるとは、何と幸せなことか。私も心からその子を迎えましょう。私も一緒になって拝みたいと思いますと、誤魔化しなしに思ったとしたら、事態は全く変わっていたでしょう。しかし彼は、今生まれたばかりの赤子に対し警戒心を抱き、対抗意識を持ち、少しも心の余裕もなくライバル意識を燃やしたのです。

  それで祭司長たちや律法学者たちを皆集めて問い質(ただ)した。また東方から来た博士たちを「密かに」呼び寄せたとあります。内密にということですが、英訳聖書では密会したとあります。彼は剃刀のように切れる男でしたから、細心の注意を払ったのです。世の中にはそういう剃刀(かみそり)のように切れる男や女たちがいます。普段は鈍く見えます。だが肝心な所で実に鋭いカミソリになります。切りつけられたと分からないような素早さで切り付けられる場合さえあります。脅す訳ではありませんがそういう人間がいます。ヘロデはそういう人間の一人でしょう。

  最初はイドマヤ地方という辺鄙な、砂漠地帯の武将の息子に過ぎなかったですが、政治の流れを読むのが早く、兄なども殺しながら頭角を表わし、エジプトのクレオパトラにも取り入り、やがてローマの元老院とも関係を築いてエルサレムを支配し、着々と地盤を築いて広大な領土を持つ大王となって君臨した人物です。

  彼は東方の博士たちに、「見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と言って彼らを騙(だま)し、一挙に幼な子を亡きものにしようとしたのです。拝もうとは、心から敬意を表わすという意味もあります。「彼らが王の言葉を聞いて出かけると」とありますが、王の言葉とは「私も行って拝もう」、私はどうしても拝みたい、心から敬意を表わしたいというのを聞いて喜び出掛けたという意味です。博士たちは率直に喜んだのです。それほどヘロデは巧みに一芝居打ったのです。

  今日は「不安を抱く王」という題です。看板の「王」を、大王ですからどっしりふんぞり返って大きく書いて頂きたかったのですが、申し訳ありませんでした、私が申しませんでしたので他の字と同じ大きさでお書きでした。このヘロデ王は私たちのお手本ではありません。しかし私たちへの反面教師として学ぶことが出来るかも知れません。

       (つづく)

                                         2017年12月10日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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