マンガ コペル君




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                                           老夫婦に起ったこと (上)
                                           ルカ1章5-17節



                               (序)
  今、コペル君が評判です。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、コペル君は中学2年生。遂に33万部を突破しました。コペル君とは漫画の主人公です。しかしたかが漫画でなく、吉野源三郎の名著「君たちはどう生きるか」が漫画化され、池上氏が心から感動したと絶賛したことがあったからでしょう。昨日の新聞では、マンガ+原作で100万部突破だそうです。

  元の本はマンガでなく戦前に書かれた小説ですが、今も、物事を考える中高生の必読書です。

  マンガと元の小説では話の順番が違いますが、マンガだと、コペル君こと叔父さんからコペルニクスとニックネームを貰った潤一君は、雪の降る寒い冬の日、酷い熱でウンウン唸って氷枕しています。ところが急にフトンを頭からかぶって、「熱なんて、もっと上がってしまえばいい。どうなってしまったっていいんだ」と叫んでいるんです。というのは彼は大事な友だちを裏切ってしまって、「ボクなんて死んだ方がましだ」と、フトンの中で頭を抱えて、こう何度も呟くのです。

  こんな事を叔父さんに打ち明けたところ、次の日、叔父さんから一冊のノートを渡されます。そこにこう書かれていました。

  「コペル君、今、君は大きな苦しみを感じている。なぜそれほど苦しまなければならないのか。それはね、コペル君。君が、正しい道に向かおうとしているからなんだ。死んでしまいたいと思うほど、自分を責めているのは、君が正しい生き方を強く求めているからだ。」

  マンガでは、この言葉が先ず心にググッと入って来ます。吉野源三郎が80年前に出版したものですが、今の中高生また青年や大人たちの心にも深く食い込んで来る言葉です。

  コペル君が、死んでしまいたいと自分を責めた正しい生き方とは、真理の道と言っていいでしょう。私たちが聖書から毎週生き方を学んでいるのは、キリストがこの真理の道を示してくれるからです。コペル君のマンガとは少々違いますが、キリストに出会うと正しい生き方が分かって来ます。

  教会に集っている人は、完全になっている訳ではありません。私たちは決して完全ではありませんし、そう考えていませんが、本当の生き方を見出したいと願っている人だと言っていいでしょう。もしそんな道など私は不要だと考える人がいれば、教会に来る必然性はなくなります。単に人と釣るんで、器用に生きればいいでしょう。しかしキリストは私たちを器用な人でなく、不器用でも人に左右されずに考える人にし、神の前で真実を願う人格にして行くのです。

  Aさんがあまりにも急に急逝されました。先週はクリスマスの飾りつけにも残って、最後まで手伝ってからお帰りになったので本当だとは思えません。話題の豊富な明るい方で、今日も礼拝で、普段お座りになっていた席に誰もいなくて実に淋しいです。高校時代は小説を書いておられました。文学少女だったのでしょう。金曜日に、お葬式の後の火葬で白骨になって出て来られたので、語るべき言葉を持ちません。彼女が僧侶の家に生まれ、50代にキリスト教に来られたのは、ここに本当の生き方がある。自分は弱いけれど、自分を真実へと導いてくれるお方がおられる。そう知って洗礼を受けられたのです。ですからAさんが好きだった箴言16章9節の聖句からも、それが感じられます。

       (つづく)

                                         2017年12月3日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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