魂のカウンセラーと齊藤諒君のこと



ワーズワースが通ったグラマースクールの机と椅子。「コラッ」て怒られなかったのでしょうか。でもこうなったら勉強机と言うより立派な彫刻です。そら、ワーズ・ワースだって名前を彫っています。大らかですね。
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                                       みどりご 誕生の喜び (下)
                                       イザヤ9章1-6節



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   私たちの時代を考えると、イザヤ時代とは違う様々な闇があります。政治的な闇や社会的な闇が外にありますが、人々の内面にも大いなる闇がある気がします。中には、内なる闇や内なる弱さで絶えず脅かされ、恐怖に晒されている人々もいます。内に引き籠る青年たち、鬱々と闇の力に囚われている人々が150万人を越える時代、別の統計では300万人に上ると言われています。

  統計などの数字はどうでもいいのですが、実際のこのお一人お一人は一体どういう思いで日々を過ごしておられるのでしょう。心が痛みます…。しかしまた、将来、一体日本社会はどうなるのでしょう…。この方々一人一人はどうなるのでしょう…。

  しかし、たとえその人たちでも、その人の弱さに神の憐れみの光が照らされる時には、弱さが却って創造的な力を発揮したり、同じような弱さを持つ人々に支えを与えたりして、弱さや闇を持つゆえに神に用いられることがしばしば起ります。彼らは神の栄光を表わす予備軍のような人たちです。その人たちが用いられる日が来るように切に祈らずにおれません。

  今日の聖書に沿って言えば、闇の中を歩む民は「大いなる光を見」、死の陰の地に住む者の上に「光が輝いた」という事です。弱さを持つ人が、持たぬ人以上に意味深い人生の喜びを与えられ、大いなる楽しみを授けられ、主のみ前に喜び祝う事が起こったりするのです。まるで刈り入れの喜びの様な喜びが人生に起るのです。

  長く背負って来た病弱という軛(くびき)、痛みや耐え切れぬ痒みというムチ、家族との間の勇気を挫くしこり、棍棒をくらうような強い軋轢(あつれき)。たとえそれらがあっても、いったん主の光が心に差し込むと打ち砕かれ、解決されて行くのです。

  今の話とはちょっと違うのですが、先日齋藤諒君という知らない青年から冊子を頂き、彼を思いながらお話しています。野球の名門校でキャッキャーとして甲子園を目指していたそうです。ところが2年生の時、車にはねられ、両手両足が全面マヒ、呼吸は自力で出来ず、食事も食べられないので鼻からの流動食になり、今も寝たきりだそうです。加害者の27才の青年をどんなに憎み、恨んだかを綴っていました。自賠責自動車保険が切れていた時で補償も一切ないそうです。

  そんな諒君が野球部の先輩から教会を紹介され、聖書に接し、やがて信仰を持つようになり、それだけでなく裁判中だったようですが、誰の勧めでもなく彼は裁判を中止し、相手を赦したのです。弁護士は呆れて怒った。だが、その頃から彼は徐々に変えられて行ったのです。非常に不思議です。

  入院中に、甲子園に向けての高3の夏の大会の抽選会があり、野球は出来ないが抽選会に行くのです。身動き一つできないままです。その熱い思いがあって、「熱闘甲子園」というテレビ番組で、「交通事故で夢を断たれた球児」という紹介で、日本ハムの栗山監督の訪問を受けたそうです。

  やがて彼は両親の付き添いで教室に戻りますが、やはり通学は無理で退学し、後に高校卒業認定試験を受けて合格します。合格すると、パソコンで授業を受ける「サイバー大学」の学生になり、5年掛ってこの春卒業したのです。今、25、6才の青年でしょう。

  この間、聖書の勉強を続け、彼も家族も信仰を持ちます。試練の中で痛みと苦しみが続きますが、加害者も家族も実は事故以来苦しんで来たことを知ります。それを知って彼と家族は、聖書に導かれて先程触れましたように加害者を無条件で赦そうと決意したのです。弁護士の怒りにも拘わらず、決して決意を曲げないのです。二十歳前後の青年でよくそこまでできたと思います。そうする中で、加害者は心労で髪の毛が抜けて全くなくなり、その父親は自殺して保険金を賠償金に充てようとしていることを知ります。

  いずれにせよ諒君と家族は加害者を無条件で赦すのですが、それが思いがけない事に発展します。加害者も聖書を学び始めるのです。加害の罪を償うためでなく、自分のために学び始めたのです。そして加害者も家族も全員洗礼を受けて行ったのです。それだけでなく諒君の父は、加害者の父を自分と同じ職場に紹介して、今、被害者の父親と加害者の父親が同じ職場で一緒に働いているのです。殆ど考えられない事が起こったのです。

  彼は冊子の最後で、もし事故の時、呼吸が止まって死んでいたら、こうした出来事は起らなかっただろうが、「僕は生かされたのだ。だから命を下さった神様に感謝して、全力で生きる」と書いていました。「全力で生きる。」彼はこの言葉を力を込めて書いていました。

  皆さん、今日の聖書にあるように自分の弱さや闇に負けちゃあいけません。自分を取り巻く闇にも負けちゃあならない。神の導きを信じ、「からし種一粒の信仰があれば、この山に向かって、海に移れと言えば移る」とありますが、必ず神の導きがあると信じて、雄々しく自分に、また取り巻く闇に打ち克って行きましょう。

  「地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく、火に投げ込まれ、焼き尽くされた」とありました。敵兵を突き刺し、落馬させ、踏みにじって潰していく兵隊の軍靴と、血にまみれた軍服は、諒君をはね飛ばし、頸椎を折り、死の一歩手前まで押しやった交通事故だとすれば、今、その軍服も軍靴も悉く火に投げ込まれ、焼き尽くされ、闘いが終わって、彼と彼の家族に、また加害書と家族の中にさえ、一人のみどりごが生まれたのです。平和の君が誕生したのです。彼らの内なる闇にみどりごキリストが希望の光として生まれたのです。諒君は今も寝たきりです。だが彼はキリストによって再起し、過酷な条件を持ちながら、「全力で生きる」と力を込めて書くのです。

  「権威が彼の肩にある」とありました。みどりごの権威とは、全ての災いと悪の霊に対する、それを打ち砕く権威の事です。また、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」とありました。驚くべき指導者とは、先に申しましたが、驚くべき魂のカウンセラー、魂の助言者です。

  諒君の魂は交通事故によって絶望のどん底に投げ込まれました。「人生を返せ」「一生同じ苦しみを負わせてやる」「見舞いに来る暇があるなら、働いて金を持ってこい」。彼は当初絶叫していたそうで、彼を襲った不幸は彼と彼の家族を絶望のどん底に投げ込みました。

  ところが彼と家族は驚くべき魂のカウンセラーに出会ったのです。魂に助言を得たのです。人生の真実な指針を得た。そしてその魂が癒された。そればかりか、加害者と家族の魂をもカウンセリングして行ったのです。その深い絶望の闇に置かれた人たちにも人生の指針が授けられて行ったのです。闇の中を歩む民は「大いなる光を見」、死の陰の地に住む者の上に「光が輝いた」とある通りです。

  この驚くべき魂のカウンセラー、魂の助言者、キリストが来られることを、700年以上も前に一人の預言者が、世界の片隅で預言したのです。この方が時代を超え、国を超え、海を渡って私たちに知らされているのは何と幸せでしょう。この好機を逃してはなりません。今年のクリスマスを、魂のカウンセラーであるみどりごを自分の胸に迎える時に致しましょう。またこの嬉しい知らせを人々に伝えて行きましょう。

      (完)

                                         2017年11月19日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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