イザヤの時代


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                                       みどりご 誕生の喜び (上)
                                       イザヤ9章1-6節



                               (序)
  今日は教会学校の子ども達が何人か病気その他で来られませんでしたが、少ない子ども達にこの難しい聖書個所から面白い解釈をお聞きできました。過去の事を隠そうとしてはならない。本当にそうだと思いました。

                               (1)
  さて、少し早いですが、今日はクリスマスに備える聖書を選びました。日本キリスト教団はかなり前から、アドベントからでなく、その少し前から、今年だと10月29日から降誕前第9主日を始めています。それで、今年は今日からクリスマスに関係する聖書を取り上げました。

  先ず、「闇の中を歩む民、…死の陰の地に住む者」という言葉が1節にありました。語られたのは、イエスさま誕生の約730年前です。今から730年前と言えば1287年ですが、日本で言えば2度目の蒙古来襲があった「弘安の役」の直ぐ後、足利時代です。その時代に国際化の進んだ21世紀の今の事が預言されるに等しい訳で、信じ難いことですが、イエスの誕生の預言はそんな風に時代を越えて起りました。

  直前の8章22節以下に、「地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放。今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。先に、ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けた…」とあります。

  ゼブルンとナフタリの地は辱めを受けたとは、紀元前730年頃、獰猛なアッスリア軍が激流のようにこの地域、すなわちガリラヤ地方を襲って殺戮して辱めた事を指します。見渡す限り苦難と闇の世界が支配したのです。

  その背景には先ず国内事情があります。イザヤ書1章では、当時、国の屋台骨が腐ってしまっていたというような事が言われています。また、忠実と公平、正義が宿っていた町が一変して、人殺しが横行し、支配者らは貧しい者に無慈悲になって、賄賂を喜び、贈り物を強要し、孤児の権利は守られず、虐げられた者ややもめの訴えは取り上げられないという始末でした。国は金銀に満たされ、財宝は限りなく、軍馬も戦車も無数なのです。だが、「 人間が卑しめられ、人は誰も低くされている。」それほど強者が益々強くなり、一般の人たちが卑しめられたのです。

  為政者が変わると少しの間で大きな変化が起こることがあります。今日でも強硬なタカ派などが出て来ると、国が一日で本当に大変なことになります。それは現在、世界のあちこちで経験しているところです。預言者イザヤにしてみれば、それまでと打って変わって大変な変化が起こったと言うことでしょう。

  この、「人間が卑しめられ、人は誰も低くされている」と言う言葉に、当時の問題の根が集約されていますが、そこにアッスリア軍が南下して来て襲った。この闇と死が支配する時代に、預言者イザヤは神から召命を受けて語ったのです。

      (つづく)

                                         2017年11月19日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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