幼な子に学ぼう


 ビアトリックス・ポターの書斎には弟が描いた湖水地方の絵が数点掛かっていました    右端クリックで拡大
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                                            幼児に学ぼう (下)
                                            マルコ10章13-16節


                                (2)
  さて、イエスは、「神の国はこのような者たちのものだ。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」 と言われます。

  幼な子は母親に、また父親に全く信頼しています。信じ切って委ねています。母はその事を知って自分の責任を徐々に自覚するのではないでしょうか。お腹に宿した時から徐々にそれが始まり、腕に幼な子を抱いて更に責任の大きさを知ります。女から母になるのです。いつか電車に、大きな荷物を抱えて乗り込んで来た家族連れ6人がありました。恐らく引っ越しです。全員身なりは薄汚く、貧しさと苦労がありありと感じられました。ところが1才にもならない赤ちゃんが、お母さんの胸で安心し切ってスヤスヤ寝ていました。お母さんは、この子らがいるからしっかり生きねばならないと思っている気がしました。

  神の国は安心し切って神に委ねる者たちの国だと言われるのです。罪多き自分ですが、安心して委ねていいのです。罪多き者が小鳥のように巣に帰って来るように招かれているのです。ここに安心しておれる場所があります。

  子どもは低さそのもの、小ささそのもの、弱さそのものです。えら張る子もいますが、それは家庭教育のせいです。地位も名声も、仕事も、無関係です。気にしません。どんな子とも遊びます。

  神の国は地位も名声も、仕事も関係ありません。どんな人も招かれています。私たちの教会にも色々な人が招かれています。神の愛の選びは、人の選びの善し悪しを遥かに越えています。神はより好みされません。

  どんな小さな幼な子も批判したり、やっつけようなんて思っていません。「心の貧しい者たちは幸いである。心の清い者たちは幸いである」とある通り、清さを持っています。神の国も同じです。

  また小さな子どもは、自分の父親は何でも知っていると思っています。また正しいと思っています。父親にしてみれば恥ずかしい次第ですが、子どもはそれほど父を信じています。神の国も、父なる神への一切の信頼であり、信じて委ね切っている者たちの国だという事です。子どもが自分の父に対するように、神の正しさを信頼し、神は何でもご存知であることを信じて疑いません。そして神の場合は実際にそういう方です。

  幼い子供らは、仲良しとケンカしても、あくる日は一緒に仲良く遊んでいて、不思議です。赦すのが上手な存在です。神の国は裁きやいつまでも根に持つ国でなく、赦しの国です。

  更に、幼な子らが安心して母の胸に自分を預けるのは、自分の業ではありません。自分が偉いからではありません。自分は低く、小さく、弱いのです。しかし神の一方的な恵みであり、憐れみがあるから神に安心して委ねるのです。

  かなり前の話です。私もよく知っているある方が随分、年を取り、100才を少し越えました。その頃、100才を越える人は余りありませんでした。昔は幼稚園の園長として、キリスト教の世界で素晴らしい活動をしておられました。だが100才を越えた頃から認知症になり、一切「キ」の字も言われなくなったのです。

  信仰は神を信じて、その信仰を自覚的に告白することが大事です。でもこの方は一切そういう事がなくなったのです。じゃあ、この方は救われないのか。

  いや、この方は認知症になり、言わばすっかり子どもに帰ったのです。母の胸にある幼な子のようになったのです。母の胸に委ね切ってある幼な子が、どうして自分は捨てられると考えるでしょう。神の恵みへの全くの信頼。一方的な恵みへの揺るがぬ確信。認知症になって、信仰の「し」の字も出なくなってもいいのです。イエス・キリストはそのままで救って下さるのです。自分自身が分からなくなっても、そのまま委ねればいいのです。

  皆さんの中には、認知症になるのは耐えがたいと思う人があるかも知れません。だが、「神は真実な方です。耐えられないような試練に遭わせられることはなさらず、試練と共に耐えられるように逃れる道も備えて下さる」とは、こう言うことではないでしょうか。

  私たちが認知症になろうが、再び幼児に帰ろうが、イエスは、私がこうなった全ての事を、その理由を、いきさつをすべてご存知な方です。認知症になった私たちに向って、私の「幼子を、私の所に来させなさい。神の国はこのような者の国だ」と、目を細めておっしゃるでしょう。

  私たちは、これからもぜひ幼な子に学んで行きましょう。

          (完)

                                         2017年11月12日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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