1万通りのうまくいかない方法を見つけた人


                  ビアトリックス・ポターの住んだヒルトップ(2)        右端クリックで拡大
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                                             パンと魚の感謝 (3)
                                             マルコ8章1-10節



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  それに対して弟子たちは、「こんな人里離れた所で、いったいどこからパンを手に入れて、これだけの人に十分食べさせることができるでしょうか」と答えています。「人里離れた所」とは、人家一つ見当たらない砂漠や荒れ野の事です。

  弟子たちは、こんな場所でパンを手に入れるなんて絶対不可能です。人家も店もない、出来る筈がありません。それにこんな大勢が満腹するパンを買うなんて、そんな大金を持ち合わせてもいませんと、口には出して言わなくても心の中でイエスの非現実性を責める者や不平を言う者もいたかも知れません。

  だがそれを聞かれたイエス様は、「パンは幾つあるか」とお尋ねになったのです。エッ?と思います。どう見ても客観的に不可能ですと断言する弟子たちに、こう聞かれたのです。

  弟子たちは不可能です、ありませんと、悲観的な事に目を向けています。だがイエスは、「パンは幾つあるか」と「あるもの」から始められるのです。どんなに少しであってもよい。手持ちのもの、現実に「あるもの」で勝負されるのです。

  イエスから見れば、「7つもあります」それに「2匹の魚もあります」という事です。敗北主義でなく積極主義です。悲観主義でなく希望を抱いた攻めの姿勢です。キリスト教信仰は諦めや諦観ではりません。「般若心経」などは諦めや諦観を説いて気持が静まる思いもしますが、人間は余りにも早く諦めてはいけません。一度諦めるとそれが癖になり、負け犬になりかねません。むしろエジソン、あの発明王エジソンが言うように、「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ」位のしたたかさが必要です。

  たといイエスでも、強く抵抗する弟子たちがいる中でご自分の意志を貫くことに困難を感じられない筈がありません。12弟子全員が不可能ですと言ったかも知れません。だがイエスは、彼らの意見に足を引っ張られないのです。

  と言ってもイエスは消極的意見に耳を傾けられないというのではありません。そんな考えがあるのを重々知りつつ、それによって萎んでしまわれないのです。弟子たちは「7つしかありません」と言ったでしょうが、イエスは、「7つもあるのか」と言われるのです。これは生き方の大きな違いです。

  そう言って、「イエスは地面に座るように群衆に命じ、7つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、人々に配るようにと弟子たちにお渡しになった」のです。

  先ず座るように命じられたのです。今からそろそろ帰宅しようとする群衆を先ず座らせられたのです。立っていると落ち付きませんが、座ると気持が多少落ち付きます。イエスは人間の心理をよくご存知でした。落ち着かないと人間はどうなるか、群衆心理も考えておられたでしょう。座るという事で、私は心に刻まれた思い出があります。

  教会では時々フランスのテゼ共同体のご紹介をしますが、今から12年前の8月16日に、テゼの院長であった90歳のブラザー・ロジェさんが、夕べの礼拝で、背後より突然気がふれた女性によって襲われ、その場で即死しました。ブラザーたちは会堂の真ん中にズッーと長く100人程が座って、その最後尾にロジェさんがいて、その周りを多くの人が取り囲んで礼拝しているのですが、そのロジェさんを背後から切りつけた者がいたのです。パラノイア、偏執病の精神異常者でした。ヨーロッパでは大きく報道されました。教会には約4千人の若者が集まっていて、一瞬の出来事にみな騒然となりました。

  その時、一人のブラザーがマイクを手にとり、「さあ皆さん、お座り下さい」と一こと言って、皆がよく知っているいつものテゼの歌を歌い始めたのです。すると4千人の人がその場に座り、何事もないかのように歌い始めて普段の礼拝が始まったのです。むろん何人かのブラザーたちが黙々と傷の止血をしたり隣部屋に運んだりしている訳ですが、参加していた人たちは歌いながら、悲劇が起こっている中でも、神のご支配が確実にあることに心打たれたのです。

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  彼らが座るとイエスは、「7つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、人々に配るようにと弟子たちにお渡しになった。」イエスの為されたのは単純です。7つのパンを感謝することです。4千人に給食するからと言って、何かまじないや呪文を唱えられません。ただ神なる主に向かって感謝されるのです。飾りも何もありません。不必要なことは何もされません。

  私たちの周りには、不必要なものが満ちているのではないでしょうか。あれをしなければならない、これをしなければならない。……
       (つづく)

                                         2017年11月5日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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