彼らの弱さと辛さを思って
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パンと魚の感謝 (2)
マルコ8章1-10節
(1)
さて、イエス様の周りに、今申しましたように異邦人を中心にした多数の群衆が集まったのですが、何も食べる物がなかったので、弟子たちを呼び寄せ、「群衆がかわいそうだ。もう3日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。 空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる」とおっしゃったのです。
彼らは自発的に来た群衆です。みな、イエスの「神の国」の話を聞こうと、救いへの道を知りたいと、人は何故生きるのか、人生の目的は何かを知りたいと願って進んで集まったのです。3日間、イエスの話を聞いて堪能したでしょう。だが、手持ちの弁当が尽きて、何も食べる物がなくなった。実に聖書は現実的です。
イエスはそれをご覧になり、「群衆がかわいそうだ。もう3日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。 …」と心を痛められたのです。「かわいそうだ」と言われた一語にイエスの愛の深さが集約されています。
自分の話を聞きに来たのに、このまま帰らせると途中で弱って倒れる者があるかも知れないと言われるのです。私なら、彼らが勝手に来たのだから、帰りをどうするかは彼らの自己責任だと言うかも知れません。或いは、私たちは自国民だけに責任があって、異邦人などに与える余裕などないという人もあるでしょう。だがイエスはそう考えられないのです。
イエスはまた40日40夜、荒れ野で断食されたことがあります。極限まで断食された。それを鼻にかけて、3日ぐらい大丈夫だ、死ぬことはない、甘えるな、などと言われず、「群衆がかわいそうだ」と言われたのです。以前に申しましたが、元の意味は「私のはらわたがちぎれる思いがする」という事です。まさにこの一語にイエスの愛の深さが集約されています。
上から目線どころか、群衆の中に女性も老人も子どもも病人や障碍者もいたでしょうから、彼らが空腹のまま帰ろうとすればまさに弱り切るでしょう。彼らが抱える弱さと辛さを慮(おもんばか)り、彼らと同じ次元に立ち、はらわたを激しく痛まれる愛のイエスがここにおられます。
(つづく)
2017年11月5日
板橋大山教会 上垣勝
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