自然界の祝福


               Ees Wyke Hotel の野バラ(文中のバラではありません)
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                                           自然界の祝福 (上)
                                           イザヤ35章1-2節



                               (序)
  先週、白十字ホームの「聖書の集い」にAさんが2度目の出席をされました。やっと終の棲家に安心して過ごされるようになり、落ちついたお姿に安心しました。その帰り、台風一過で素晴らしい秋晴れの中をホームの裏の八国山(はちこくやま)を通って帰りました。赤くなり始めた夕日が雑木林に差し込んでキラキラ輝き、気持ちいいウオーキングでした。

  尾根道には、台風で無数のドングリが落ち、葉のついた小枝も絨毯を敷いたように落ちて、それを踏んで帰りました。木は、大風があると余分なものを落として身軽になります。嵐で隣の木々とこすれて小枝を落とし、自分の重みで倒れないように工夫し合っているのです。隣の木によって枝を落とされるのは迷惑でなく有り難い事なんですね。私たち人間も社会の中で人と色々こすれ合ったり、傷ついたり、何かを削り落とされたりしますが、それは多少ストレスフルであっても、良いことなのかも知れません。そう思うと、過去を振り返らず木のように元気に空に向って伸びて行ける気がします。

                               (1)
  「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。野ばらの花を一面に咲かせよ」とありました。これが語られたのは、イスラエルアッシリアに破れて人々が捕囚となって外国に連行され、母国が荒廃した時代です。国と社会の荒廃の中で、花咲く希望の時代が訪れることを預言しています。

  「荒れ野」、「荒れ地」と何度か繰り返されるのは強調のためです。そこまで荒廃したのです。「砂漠」ともあります。砂漠は物みな乾燥し、何も育たない、希望が酷く断たれた地帯です。

  ところで誰がこの言葉を呼ばわるのでしょう。文脈からし預言者です。あるいは神です。「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ、大いに喜んで、声をあげよ。」

  野バラは馥郁と香り高く臭います。一面に白い花を咲かせた野バラは、王女のように気高く周りに昆虫たちを惹きつけ、季節によっては無数の蜂たちが遠くから訪れます。

  少年時代にはこんもり繁る野バラが各地にもありましたが、今は殆ど見ません。以前、シュバイツアー博士のお父さんが、牧師をしていたフランスの村の近くに行ったことがあります。低い丘が続く斜面にブドウ畑が延々と連なるアルザスの小村です。朝、丘に登ると、足元に数十軒の民家が身を寄せ合うように建つ小さな村でした。丘からの素晴らしい眺めを楽しんで少し散歩していましたら、ブドウ畑の一角に背丈が3mほど、幅が4、5mもある野バラの茂みが一面に白い花をつけ、蜜蜂が小さくブーンとうなって舞っていました。「野ばらの花を一面に咲かせよ」という言葉に、脳裏に焼き付いた素晴らしい景色を思い出します。

  荒れ野や荒れ地、砂漠に、「野バラの花を一面に咲かせよ。」神の祝福です。「花を咲かせ、大いに喜んで、声をあげよ。」神の祝福への応答を勧めています。天地万物を治められる主なる神への応答です。

  白十字ホームの裏山の雑木林の一角が1年程前に伐採されたのですが、先週そこを通っていたら、工事現場で使う黄色のビニールテープで何箇所か囲まれていました。「公園の建物か子どもの遊具が作られるのだろうか」と思いました。折角の雑木林が徐々に切られて狭くなるのは残念です。近づいて看板を見たら、「八国山・観察区域」とありました。自分の先入観の愚かさが恥かしくなりました。伐採後、植物がどう生育するか。最初に顔を出す草や木、遅れて育つ植物、そして更に後から育って他のものより大きくなる樹木。また虫たちの変化はどうかなどを観察するために、人が踏み込まないようにテープで囲っていたのです。

  木や草や植物が育つと根元に必ず虫たちが集まって来ます。この狭い教会の庭でも同じです。緑の葉っぱを食べる虫、地に落ちて腐った葉っぱや木を食べる虫、そしてその虫を食べる虫など。昆虫がいれば、それを餌にする小鳥や小動物たちが生息できます。恐らくそういう生態系の変化を観察するのでしょう。

  砂漠の緑化が進むと昆虫が戻って来ます。虫の声が聞こえ、小鳥の声も聞こえるようになります。「喜び躍れ…、大いに喜んで、声をあげよ」という預言は、草や花々が上げる喜びの歌声、虫が鳴き、小鳥が囀り、生き物たちが喜ぶ声を指しているかも知れません。

  また、「砂漠はレバノンの栄光を与えられ、カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る」とあります。レバノンガリラヤの北方にあって砂漠はなく、緑豊かな地です。草木が茂り、植物が繁茂し、昆虫たちが飛びまわり、野生の動物たちが住んでいます。次のカルメルはガリラヤの西方です。地中海に近い肥沃な台地です。シャロンは讃美歌にあります。「シャロンの花、イエス君よ、我がうちに開きたまえ、良き香り麗しさを、われに分かち与えつつ、シャロンの花、イエスよ。わが心に咲き給え」と歌われ、シャロンは温暖なガリラヤの低い丘陵地帯です。草花が咲き乱れる野原は世界的に有名な素晴らしい平野です。

  この預言は、大自然が生き生きと命に溢れるのは、主の栄光を示し、神の輝きを現わすことだと語ります。神の自然界の祝福を歌うのです。神は人間に対し愛を示され、大自然をも愛し、神の祝福で覆われるのです。この美しい自然界。これは私たち人類に神が与え下さった贈り物、賜物です。神のこの恵みの意志は変わりません。それはいかなる時代が来ようと、この意志を誰も妨げることは出来ないでしょう。もし妨げるなら必ずや大きな代償を払うことになるでしょう。私たちは神の大自然への祝福の意志を決して忘れないようにしたいと思います。預言者イザヤは国土の回復の預言と共に大自然の祝福の預言をしているのです。

        (つづく)

                                         2017年10月29日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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