私が卑しかから食べたのよ





湖を過ぎて羊の群れの前に出ました。左に行けばあちこちに湖水地方の魅力的な何気ない風景がありました。
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                                           君が耐え得るように (中)
                                           Ⅰコリント10章1-13節



                               (2)
  さて今日の聖書の中心に来ました。彼は、だが、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」と語ります。どうでしょう、皆さんはこれまで耐えられないような試練があったでしょうか。もしそんなことなどなかった方は、幸運だったと思います。ぜひ神の感謝してください。また、耐えられないような試練にあっている方でも、もし信じるなら、「あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず…」と言うのは本当だと思います。神は無慈悲な方ではありません。憐れみを持つ寛大な、愛の方です。

  先週の火曜日にやっとAさんを東大病院にお訪ねしました。Aさんは新しくなった病棟の個室同然の2人部屋におられて、食べ物は口を通らないですが、二種類の点滴で元気を回復しておられました。お顔が艶々(つやつや)して普段よりお元気そうで、最近めったに見ないあの輝いたお顔でした。

  あの日、礼拝の帰りにハッピーロードで、ミニのイクラ丼を買い、トウモロコシを買って、帰宅すると早速イクラ丼をペロッと平らげ、トウモロコシも大半を食べてから、次第にお腹が痛んで、耐え切れず、夜中に病院に運ばれたと言っておられました。イクラ丼を少しだけ味見させられたので、「少しだから、一層おいしかもん」と言う訳です。聖書の「試練」という言葉は誘惑の意味もあります。「自分が卑しかから、食べたのよ。私が悪かとよ」と明るく笑う程に回復しておられました。

  Aさんは口から肛門まで全消火器に次々潰瘍が出来るクローン病で、この40年程、入院は10数回、苦しんで来られました。何年か毎にお腹を開けて、次々大腸を切除し、小腸も何度も切り取り、今は大腸が全くなくなり小腸が僅か10センチ程残るだけで、今回そこが腸閉塞を起こしたようです。エレンタールと言う飲み物で何十年も来られ、一切固形物を取れない期間も長くありました。長年の忍耐です。たまには気晴らしに美味しい物をちょっと口に入れたくなりますよ。

  冗談はさておき、病室で来週の個所ですと言ってこの個所を読みましたら、終わると、「私のために、ピッタリのお言葉です」と言われました。

  16歳の高等女学校時代に長崎で被爆されました。被爆も大変ですが、2人の子を残してご主人の思いがけぬ20代の若死にと、その後待っていた普通の人の何倍もの人間として耐えられないような苦労、ご自分の子と親戚の子ら10数人を育て、その間の疲労も重なり40代で難病の発病です。それにも拘らず、Aさんは、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」というみ言葉を噛みしめて聞いておられて、すぐに、「私のために、ピッタリの言葉だ」とおっしゃったのです。30代で初めてキリスト教に触れ、やがて70代で信仰に導かれたから言える言葉です。

  主なる神は、主を愛する者たちと共に働き、「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道も備え」、万事を益として下さる。Aさんは神の愛を、ご自分の経験から証しされたのです。

        (つづく)


                                         2017年10月22日




                                         板橋大山教会  上垣勝



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