42.195キロのような短距離走でなく


        ビアトリックス・ポターはヒルトップでピーター・ラビットなどを書きました。
  彼女はいつもこのパブリック・フットパスを通るモス・エクルズ湖への道をウオーキングしていました。
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                                        朽ちぬ冠を(中)
                                        Ⅰコリント9章24-27節



                               (2)
  次に、「彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです」と語ります。

  「冠」と言うと金や銀また宝石で飾られた冠をイメージしますが、ここは月桂樹で編んだ冠のことです。アスリートはその栄冠が欲しくて厳しく節制し、競ったのです。むろん賞金があったでしょう。ところが月桂樹ですから手にしても、数日すれば萎れる栄冠です。

  アスリートが頂く栄冠はそうですが、この世の栄誉もまたいずれ朽ちます。あれ程偉そうに語り、態度も横柄だった人がヨボヨボになっているのを見ると人生観が変わります。長く生きていて人の真実の姿を知ってよかったと。人も栄誉も永遠ではありません。立派な栄冠を得たアスリートが、その後人として栄誉を得る人物に成長し、大成するとは限りません。栄冠を得た後、実に下らない人生を送るアスリートもざらにいます。

  それに対し彼は、「わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制する」と語ります。「朽ちない」、萎れない、永遠の冠です。それを得るため「節制する。」たるんでいる兵隊は戦闘に勝てません。やられます。命を失うでしょう。戦闘は集団の行為です。たるんでいたら、そこからやられ、総崩れになります。昔、日本の軍隊では精神注入棒という太い樫の棍棒上等兵が兵隊を殴りました。「貴様ら、たるんでいる」と怒鳴って殴るのです。だが、それは自分が節制するのとは違います。テメエらに、日本精神を注入してやると尻を思い切り叩きました。骨ではありません。骨なら骨折する強さです。再び精神注入棒が国民を叩くことがあってはなりません。そのような歴史を再び来させないためにも今度の投票は大切です。国民はもっともっと自覚しなければなりません。今度の一票は大切なのです。

  パウロが言うのは、永遠の命を得、神に義とされる朽ちない冠のための自主的な節制です。だが、考えてみて下さい。私たちは信仰によって既に義とされています。神の子とされた筈です。だから、節制など不要、自分と戦う事など不必要という人々がコリント教会ではいたのです。だがその人たちは結局退廃的でした。それでパウロは、「わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです」と明言したのです。どうしてでしょう。そんな苦労をいまさらする必要があるのでしょうか。もっとのんびり、主にすっかりお委ねし、安心してお湯にでも浸かって手足を伸ばし、リラックスして生きるべきではないでしょうか。

  しかし、彼は第Ⅱコリント5章14節で語りますが、「キリストの愛に迫られて」、キリストに愛され、救われ、慰められ、助けられ、その愛に応えたいと愛に迫られて、自分と戦うのです。「キリストの愛がわたしたちに強く迫っている」と語る通りです。その後15節でも、キリストは、「すべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」と述べています。

  永遠の命を与えられ、それを目指すキリスト者が、自己訓練や節制をしないでよいのかと言う事でしょう。先週申しましたように、「自分のため」でなく、「キリストのため」に生きる、この事がはっきりすればするほど悲しみにもめげず、進めるのです。

  次に、「わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません」と語ります。「やみくもに」とは曖昧な言葉です。勝利を得たいのか得たくないのかはっきりしない生き方を指します。人生の目的を持たないと、長い人生をただ漂っているだけになりかねないと申しました。ゴールを目指して走るのであって、横にそれたり、方向を間違えたり、近道して却って行き詰まったりしないで、いや、誰しも迷うことがあります。脱線も逸脱もあります。青年も壮年も、老人も皆あります。イエス様はそんな私たちの弱さをよく分かっておられる訳で、一時の過(あやま)ちでその後の人生すべてを失ってはなりません。目標に向かって、引き返し、気を取り直して、それに向かって走っていっていいのです。何しろ人生は長い、長いマラソンコースであって、42.195キロのような短距離走ではないのですから。


          (つづく)


                                         2017年10月15日



                                         板橋大山教会  上垣勝



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