時は迫っている


                        図書館のユーモラスな彫刻           右端クリックで拡大
                               ・

                                            時は迫っている (下)
                                            Ⅰコリント7:25-35



                              (3)
  後で歌う、讃美歌418番に、「① キリストの僕たちよ、主のみむねに従って、日ごとに証を立て、隣り人と共に生きる国をつくれ。キリストの僕たちよ、主のみこころ、忘れるな ② 重荷にうちひしがれた人に主は近づかれて、悲しむ人の悩み、身に負われた、主の憐れみ、そのみ言葉。キリストの僕たちよ、主のみこころ、忘れるな」とあります。重荷を負う者との連帯。悲しみ、泣く者との連帯。それが、本来今日の個所で語られていることではないでしょうか。

  ところがコリント教会では、余りに世事に心奪われて、主イエスのみ言葉がおろそかにされたので、私はアポロに付く、私はパウロに、私はキリストになどという醜い争いが現われ、不道徳やみだらなことや裁判沙汰が起こったのではないでしょうか

  イエスは低く、卑しいこの世界に来られ、罪や悪が満ちる卑しい世界から私たちを救うために、私たちの傍に立って下さいました。所がこの方を忘れて、私たちが程々に世に関わるというのは、イエスの御心を忘れ、そのご愛を疎(うと)んじることになるでしょう。程々という事は、結局自分の事だけに関わる事に導いていきます。

  「この世の有様は過ぎ去る」のです。世は長く続かないのです。私たち自身がこの世の有様です。過ぎ行きます。何も持たずに、過ぎ去って行きます。これは厳粛な事実です。この事実を自覚して生きよというのです。これは世を疎んじなさい、軽視しなさいというのとは逆です。

  メメント・モリメメント・ドミニ。「死を覚えよ」という事。だがそれと共に、メメント・ドミニ。「主を覚えよ。」死を覚えよだけだと虚無的になったり、どっちみち死ぬのだから何をしてもいいという事になりかねません。だが、主を覚えつつ、死を覚えよ、です。その時、死の間際まで主の恵みを覚えて、感謝して生き、喜ぶ者と喜び、泣く者と共に泣くことへ導かれます。

  最近は深海に潜って、潜水夫たちが色んな作業をします。潮の流れが速い所では命綱をつけ、酸素ボンベを背負って作業します。潜水病にならないために必ず何分後かには水上に上がりますが、時間が短い分、水中では集中して力を尽くし作業に当らなければなりません。深海で、上がる事ばかり考えていれば、作業になりません。集中して作業に打ち込む。必ず海面に上がれるから打ち込めるのです。希望があるから打ち込めるのです。

  「この世の有様は過ぎ去る。」だが終末には、キリストの勝利が明らかにされるから、希望を抱いて打ちこめるのであり、「思い煩わない」のです。即ち、思い煩わず、泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜べるのです。絶対に世は過ぎ去るが、絶対にキリストが来られるから、共に笑い、共に泣き、共に傍らに立つ、中途半端にしないのです。世の有様が過ぎ去る事を知っても、情け深く、情熱を込めて取り組むのです。

  今日を大事に生きるのは、主を知り、世の有様が過ぎ去る事を熟知しているからです。たとえ明日、世の終わりが来ようと、今日、リンゴの苗木を植えるとルターが言ったように、世の有様を去らせうるお方が来られる故に、今日種を蒔き、この方を知れば知る程、今日リンゴの苗木を植えるのです。

  京都大学は類人猿の研究で有名です。今の学長さんはその方面の第1人者ですが、ゴリラはいつまでもベタベタしないそうです。実にあっさりしているそうで、好きな相手でもしがみつかないのだそうです。

  「妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、関わりのない人のように」。ゴリラに近くあれと言うのでありませんが、いったい人間はこの世の縁(えにし)をいつまでも後生大事に持ち続けられるのか。本当にそんな事が出来るかです。多少ゴリラに倣って淡白になるのが賢明かも知れません。

  即ち、イエスがおられる故に、現実を「やがて過ぎ去る」という達観した目を持って現実に深くかかわるのです。突き放すことで一層関わりが深くなるのです。

  その事を35節は、「あなたがたを決して束縛するためでなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるため」と言います。品位を持って、主に真実にひたすら仕えること。逃げたり、程々では品位は生まれません。愛に偽りがあって品位が出るでしょうか。妻との間で、取引において、世事に関わる時に、品位を持って生き、ひたすら主に仕え、神の栄光を表わすようにと、パウロは語るのです。


      (完)

                                      2017年9月17日


                                      板橋大山教会  上垣勝



  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif


                               ・