家庭幸福のカギ


               チャペルに入るとこんな聖書朗読台がありました。        右端クリックで拡大
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                                          時は迫っている (上)
                                          Ⅰコリント7:25-35



                              (序)
  教会学校の子ども達だけでなく、大人の私たちにも心にしみるいいお話をしてくださいました。中国人でも日本人でも、謙遜とか、傲慢というのはそういう事なんだと思いました。夏休みで山東省に帰国して来られて、また一段と成長されたと思いましたね。

                              (1)
  さて、パウロは先ず、未婚の人の結婚について、キリストから示されたものでないがと断って、私見を述べています。彼の意識では、「今危機が迫っている状態」であるから、「人は現状にとどまっているのがよい」と語ります。更に、「定められた時は迫っています」と、特別な時の切迫を告げます。

  危機とあるのは、苦難や圧迫の意味です。当時の教会を取り囲む危機。火のような迫害が始まりつつあり、やがてネロ帝時代に大迫害に発展して、ペトロもパウロもローマで殉教することになる迫害に発展します。彼はそれをヒシヒシと肌で感じて、結婚し家庭を持つことで身に一層の苦労を負わぬ為に「人は現状にとどまっているのがよい」と勧めたのです。

  しかしそれでも結婚したい人はいる訳で、それは悪い事だとか、禁止するとかはしないと彼は言っています。ですから今日の個所を、一般的な平和な時代に適用するのは無理です。あくまでも自分の私見だと断っています。

  結婚生活が楽しく意味がなければ、誰も結婚しません。しかし現実の結婚生活は甘さだけではありません。むろん悲観的なことだけではありませんが、多くの人は本音を言えば、何かと苦労があり、面倒くさい事が重荷にもなることもあります。好きで一緒になっても、考えの違いが広がって、それでも折り合いをつけなければならない訳で、気を遣わないと共同生活は長続きしません。忍耐が要ります。子どもは可愛いです。それで救われます。ところが可愛いと共に心配が生まれたり、苦労が起こる場合もあります。2人の教育方法の違いだけで大きな葛藤を抱えることもあります。

  しかしコヘレト書に、「1人よりも2人が良い。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、1人がその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。2人で寝れば暖かいが、1人でどうして暖まれようか」とあるのは本当です。苦労があっても分かち合えば、喜びが生まれます。分かち合いです。それが家庭を幸福に、豊かにします。このコヘレトの言葉は必ずしも結婚生活だけを指しませんが、結婚生活というのは、ヤマアラシの夫婦のような所がどこかにあります。冬の山は寒いので、彼らは互いに体を寄せ合って温まろうとします。所が互いに鋭い針を持っているので、くっつくと針で刺し合って凄く痛い。針の痛みに耐えかねて離れると、寒さが身に沁みます。あれもダメ、これもダメ。兎角この世はままならぬ場所です。

  だが彼は、そういう苦労を言っているのでなく、「その身に苦労を負う」ということで言いたいのは、火のような激しい迫害が起こると、家族を持つゆえの苦労が一段と高まるということです。平和の時代と違い、戦雲が慌だしく行き交う時代の家庭生活、妊娠や出産、子育てにしても大変ですし、生計を立てることも並大抵な事ではなくなる事があります。平時と違い、幾倍もの過重な負担が掛り、そこに剣や飢餓が襲えばそれこそ大変です。彼はそういう危機が迫る時代の中で語っているのです。


      (つづく)

                                      2017年9月17日


                                      板橋大山教会  上垣勝



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