男女と性


ベイリオル・カレッジに戻りました。マララさんが今年入学したオックスフォード大のレディ・マーガレットは少し北です。
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                                           男女と性 (下)
                                           Ⅰコリント7章1-7節



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  パウロは3度にわたる小アジアギリシャ各地の困難な大伝道旅行で、色々本当に苦労して来た人たちと出会ったと思います。彼自身何度も苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、労苦、不眠、飢餓や難船や盗賊の難、街の難、偽兄弟の難、その他、色々な困難を経験して来ましたが、各地で出会った結婚生活や仕事の事や奴隷売買、人間関係その他で、本当に苦労して来た人たちの事を知っていて、そういう中から手紙を書いている訳です。彼らのことを思って心から祈りつつ書いたと思います。

  人には弱さがあります。だがイエスの愛があるのですから、弱さを隠しハッタリで生きる必要はないのです。

  キリスト者だからと言って、性の問題を乗り越えた者、悟った者のように考えてはならない。特に偽善的に振舞ってはならない。男も女も、です。最近では、妻が好奇心から男遊びをするケースがあるようです。世の刺激が強いですから。実際にそんな人がある教会で居ました。本人が困って、直ちに相談してくれたから大ごとにならなくて済んだものの、離婚一歩手前でした。子どもが2人いてです。自分の若さを試したかったんでしょうね。昔から女性が進んでする不倫はあったでしょうが、昔との決定的な違いは、バース・コントロールがほぼ完全にできるからです。子どもが生まれないから、女性も安心して不倫の冒険が行える。科学が進めば進む程、人は生きづらくなっているかも知れません。

  誘惑の手が伸びて来ないため、それを防ぐために、妻と夫のコミニケーションが大事です。言葉によるコミニケーション、連絡や会話のコミニケーション、そして態度によるコミニケーション。そこには夫婦の肉体によるコミニケーションが入ります。言葉から肉体に至るこの全人間的な対話があって夫婦円満があります。いや夫婦だけでなく、これは子どもが世界を信頼してスクスク育つに必要な土壌ともなります。

  5節では、「納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです」と申します。 双方合意の上で、肉体的な事柄を一時避けて離れて暮らすのは話は別だというのです。

  今なら、夫の長期出張、今では妻の長期出張も多くありますが、そういう場面を考えてもいいでしょう。だがこの場合も、2人がよくコミニケーションを取る必要があります。人間の心は鋼(はがね)ではありません。うっかり心を許すと浮気が起こる場合や、自ら起こす場合があります。

  だから、「サタンが誘惑しないともかぎらないから」と言います。夫が妻がというより、サタンが絶好の機会を狙っている。互いにケンカしたり、いがみ合ったり、裁き合ったり、長く口を聞かなかったり、憎み合ったり。その隙に乗じて誘惑の手が伸びないとも限らないからです。

  最後に、パウロは、「もっとも、わたしは、そうしても差し支えないと言うのであって、そうしなさい、と命じるつもりはありません」とか、次の10節は、「こう命じるのは、私ではなく、主です」とか、12節では、「その他の人たちに対しては、主ではなく私が言うのですが」と語っています。

  これは私の個人的な意見であって、誰に対しても一様に当てはめようと思わないという事。あるいは、これはイエスが言われることであって、私の個人的な意見を超えて妥当することだと言いたいからです。彼はかなり各々の自由に委ねています。キリスト教信仰は規則で縛り上げるものでなく、自由な神への応答だからです。独身も神に祝福された生活です。彼自身、独身を神への自由な喜びの応答として生きた人でした。

  そして8節以下は、結婚生活で相手が異教徒や信仰を持たない場合の事を書いて、14節で、「信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされている」と書き送っています。

  信者でない妻や夫は、あなたがキリストにつながることによって聖なる者にされています。キリストの光があなたを通して相手にも差し込んでいる。相手の異教的な考えや信仰を理解しない相手の色んな抵抗よりも、キリストの恵みの方が強力であるというのです。抵抗があっても主の恵みはパートナーにまで届いている。安心して主を信頼し、今の時を賢明に生かして家庭にあって信仰的に生きなさいと勧めるのです。

  以上、2千年前ですから普遍的に妥当しませんが、教えられる大切なことが色々言われ、私自身大いに参考になりました。


       (完)

                                     2017年9月3日



                                     板橋大山教会  上垣勝



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