秘義である君の体


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                                          秘義である君の体 (下)
                                          Ⅰコリント6章12-20節


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  そこで彼は15節で、「あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか」と語り、19節で、「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」と申します。ここに第一の歯止めがあります。

  キリストを信じる者。私たちの体はキリストの体の一部であり、キリストと一体であり、聖なる神の宿る神殿であると語るのです。これは理性を超えた事で証明できません。ただ信仰の秘義、信仰の奥義です。

  それが、「秘義である君の体」と言う今日の題です。君の体は神の深い奥義を宿し、キリストの洗礼に与った君の体は、もはや君自身のものでない。キリストの尊い体の一部分である。キリストという高価な代価を払って、君は神に買い取られた。神に買い取られた者、神に属する者として、自分の体で神の栄光を表わしなさい。こう述べる訳です。

  キリストの体と言っても抽象的で分かり難いですが、今日ここに集った20数名の私たち、40人程の教会員。それがキリストの体です。また大きく見れば全世界のキリスト教徒はキリストの1つの体と言っていい。その聖なるキリストの体に私たちは属している。教会に属するということはキリストの体に属することです。

  君の体がキリストの体の一部なら、どうして「その体の一部を娼婦の体の一部としてもよい」でしょうか。決してそうではない。聖書に、「二人は一体となる」とある。「娼婦と交わるものは、その女と一つの体となる。」。それは君自身の体に罪を犯すだけでなく、キリストを悲しませることになる。

  「娼婦」とあるのはコリントの神殿娼婦のことですが、それに限定されず逸脱した性関係です。「交わる」とあるのは、膠(にかわ)でくっつけること。ぴったりくっついて離れない事、密なる関係を持つことです。そうなれば、「その女と一つの体となる」のです。

  だが一方、「主に結び付く者は主と一つの霊となるのです」から、「みだらな行いを避け」なければならない。避けざるを得ない。「主に結び付く」とあるのは、先程の膠でくっつけること、主キリストにぴったりくっついて離れない事、神と密なる関係を持つという事です。

  先ほど申しましたが、18節は、「人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯している」といいます。男女の乱れた関係を持つ。そこには自分の体への罪がある。体というと限定的ですが、それは自分の人格や魂の尊厳を傷つける行為だと言いたいのでしょう。更に、その関係を続けるなら、やがて魂まで病むことになると言いたいのかも知れません。

  こうして彼は信仰の秘義、奥義の中心に入って行きます。「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではない。」「あなたがたは、代価を払って買い取られた。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」これが第2の歯止めです。

  あなた方はどんなに貴い体を頂いているか。君は神の聖霊を宿す神殿である。君の体には神の奥義が秘められています。神の宝物がある。ある意味で、汝自身を知れということです。そこには高価なキリストの血が流されている。キリストは君の為に死なれたのです。君はこよなく愛されているのです。自分を大事にしなきゃあならない。粗末にしてはならない。粗末な扱いはダメです。あなたは代価を払って、罪の中からわざわざ買い取られたのです。あなたはもはや自分のものではないのです。キリストにおいて君は公けの者なのです。プライベートな欲望の為にだけ、自分を使っていちゃあダメだよ。自分の体で神の栄光を表わしなさい。

  今年はルターの宗教改革から500年の記念の年です。彼は、藁(わら)一本取り上げるにしても、信仰をもってしなさい。それは神に喜ばれることだと言っています。雑にするから雑事になります。信仰をもってするなら、たとえ雑事であっても素晴らしい尊い業になるのです。たとえ道で落ちている藁クズ一本を取り上げる小さな行為も、自分の体で神の栄光を表わすことになるのです。

  神の為に自分の体を用いて行く時に、君は最も善く持ち味を発揮できます。一度罪を犯せば修復できないとは言いません。だがキリストをいつまでも悲しませてはなりません。秘義である君の体。それが持つ奥義に心を向けなさい。そこにあなたの喜びと将来への希望が待ち受けています。あなたの命は、キリストの内に隠されているのです。


        (完)

                                     2017年8月27日



                                     板橋大山教会  上垣勝



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