コリントの町と教会


あっさりした宿で、何しろ便利な場所でした。1830年代に建てられ、元は学生のガウンを扱う服屋さん。
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                                            よいパン種 (上)
                                            Ⅰコリント5章1-8節
 

                              (1)
  久し振りに、コリント人への第1の手紙に戻りました。早く戻りたかったのですが、4月から子ども達と礼拝していたので、今日の個所を取り上げるのはかなり困難です。そうでしょ?で、子どもたちが夏休みでいなくなり、やっと戻って来ました。

  この手紙の著者パウロは今、エフェソの町にいて、そこからエーゲ海を挟み、500キロほど西にあるコリント教会に宛てて書いています。彼が開拓した教会ですが、彼が去った後、1節にありますように、「現に聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです。それにもかかわらず、あなたがたは高ぶっている」とありますように、教会が清さを失って腐ってしまったことを非常に嘆き、半ば憤りを持って書きました。

  「みだらな行ない」とあるのは、結婚外の性関係です。今は日本語でポルノと言えば分かりますが、その原語がここで使われています。元は売春婦と交わることですが、結婚外の乱れた性関係を指すものになり、広く不道徳、不品行、不義密通を指すようになりました。

  今は、ポルノ雑誌、ポルノ映画、その他、性欲を刺激する様々な過激な文化が私たちを取り囲んでいます。もう古いですが、援助交際もこの類いです。驚くのは、何とかチルドレンと言われる若い国会議員が、男性だけでなく女性議員も、結婚以外の性問題を次々起こしても辞任しない。彼らが青少年にどんな影響を与えるか、果して分かっているのでしょうか。

  今の時代、若い息子や娘を社会に出すのが怖いと言う人が相当あるでしょう。それほど男性にも女性にも、性を刺激する文化で溢れています。恐れ過ぎる必要はありませんが、おかしなものに引っ掛かる若者が随所にある訳で、用心しないと普通の人も引っ掛かりますよ。

  それはともかく、その様な事がコリント教会で起こったと言うことがパウロの耳に入り、非常に心配して手紙を書きました。「しかも…異邦人の間にもないほどのみだらな行い」と書いていますから、その状態が推察されます。

  コリントはローマ帝国切っての商業都市でした。この2つの港町を使うと東西交通がかなり短縮されるので、貿易商たちがひっきりなしに行きかいました。ここに有名なアクロポリス神殿があり、アフロディテ、即ちビーナスが祀られ、1千人以上の神殿祭司が仕えていました。彼らは女性祭司です。

  商人たちは貿易で儲けると、大金を持って神殿にお参りしたのです。どのようにお参りしたか。その礼拝とは、なんと、神殿でこの祭司たちと性的に交わって一夜を明かすのが礼拝行為でした。彼らは神殿娼婦とも言われ、神殿に仕える若い巫女さんです。その結果が、あの巨大な今では世界遺産に登録される神殿です。

  シェークスピアは「真夏の夜の夢」という小説で、「何と愚かなのか、人間、この死すべきものたちは」と言っていますが、スキャンダルを起こす国会議員も、アクロポリス神殿の礼拝も、現代の蔓延するポルノ文化も、「何と愚かなのか、人間、この死すべきものたちは」と言うものたちの為す業です。それは性だけのことではありません。

  コリントには、いかがわしいものが氾濫していました。彼は、よもや教会に入って来るとは思わなかったでしょう。だが客観的に見れば、言わばコリント教会は四方、腐敗の大海に囲まれた小さな孤島です。しかも生まれて間もない教会です。日常的に外の社会の影響をもろに受けていた筈です。

  2節に、「ある人」とあるのは、教会の有力者だったと思われます。町の有力者でもあったでしょう。彼の父親は本妻の死後、息子と年令が余り違わない若い魅力的な後妻を迎えたのでしょう。あるいは離婚して、この若い後妻を迎えたかも知れません。だが、その父がポックリ死んだのです。

  すると、息子である彼は、自分とほぼ同年齢の義理の母との間で性的関係を結んでしまった。「父の妻を我がものとしている」とあるのが、これです。もしかすると、この妻は売れっ子の神殿娼婦であったかも知れません。それで息子は父が死ぬや、欲望に勝てず魅力的なこの若妻と関係を結んで、今もそのままだ。

  彼は教会で洗礼を受けた人間でした。だが有力者だったので、誰も彼に厳しく忠告出来ないのです。見て見ぬふりをしているのです。

  教会がそんな事態を迎えている。ところが教会の者たちは、彼に何も意見出来ないだけでなく、この教会はパウロ先生が作った教会だとか、アポロ先生も指導して下さった教会だと言って、自慢し、「高ぶっている」のです。中身が空虚なのに、見せかけで膨れ上がっている。

  9節以下にあるように、教会外の人たちが自慢げにそういうことをしていると言うのは、やむを得ません。キリストの愛を知らないのですから。そういう人とは付き合うなどは言えない。そんな事を言えば、社会から出て行かなければならなくなります。しかし、兄弟と呼ばれる人がそうなっている。パウロは、それは断じて許せないのです。だってそうなればもう「地の塩、世の光」でなくなります。命を失ってしまう。

          (つづく)

                                     2017年7月30日



                                     板橋大山教会  上垣勝



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