美しい罪人(つみびと)


                  余りに速く表情が変わりシャッターが間に合いません
                               ・



                                             逮捕の前夜 (中)
                                             エレミヤ35章1-19節



                              (2)
  エレミヤの預言活動は、青年時代から彼の晩年に起ったユダ王国の滅亡まで約40年に渡ります。あと10年程で滅亡ですが、彼は、青年時代と変わらず滅亡寸前、いや、滅亡しても語り続けたのです。

  裁きの言葉もありますが、王国の再生のため、活性化のために、全力を注いで語り続けました。次の36章では、弟子のバルクに口述筆記させ、神殿で読ませます。それは大変危険なことで、実際それが原因で逮捕され、地下牢に幽閉されます。その後、泥が深い水溜に投げ込まれます。それでも預言者として使命に生きる訳です。若者ではありません。もう還暦を迎える頃です。

  申し上げたいのは、彼は王国最後の日まで、彼らが主なる神に向き直るように、悔い改めて主を真実に仰ぐように語るのです。彼はユダの民を最後の1日まで愛し続けたのです。だから次のエレミヤ・哀歌は彼の激しく泣き叫ぶ愛の歌です。

  彼の歩みを考える時、個人的には、私たちも人生の最後の1日迄、現役のキリスト者として歩み続けるように教えられます。信仰に引退はない。仕事からの引退はあっても、生きると言うことに引退はない。

  3年後、女性の3人に1人が50才以上です。10年後は認知症が700万人と言います。だが、たとえ認知症になってもクリスチャンとして引退せず、信仰を全うしたいと思います。主はその時も愛される1兄弟、1姉妹です。

  先月、私たちの教会のAさんが、59才で急逝しましたが、今も時々、フッと思い出します。小石川高校時代に心の病を発症し、長く入退院を繰り返しました。彼の責任ではありません。元は向学心旺盛な、知的な優れた青年でしたが、彼はこの病気に一生捕まえられて、人生を振り回され、生業につくことも結婚もできず、父の遺産も尽き、晩年は生活保護を受けました。

  彼の人生を唯一救ったのは、青年時代にキリスト教に出会い、洗礼を受けたことです。特に晩年、信仰のよい交わりを得て心に余裕が生まれました。私が初めて会った時はまだ自信がなく、ボーっとして、言葉もしどろもどろ。ところがだがだん良くなり、心の落ち着きを持ちました。主を仰ぎ、祈る者にし、聖書研究で発題もする。礼拝でヒムプレーヤーの奏楽もする。神から頂いたささやかな喜びを持つ者にしました。少しずつ進歩する歩みに、私たちも喜んでいた矢先、急に心臓発作で、誰に世話を掛けるでもなく、サッと逝かれました。最近は不安を訴えることも少なく、ニコニコして、呑気に生きていました。

  日野原重明さんが105才で召されました。巨星落つとか、大物が逝ったなどと誰かが言っていました。生活習慣病という言葉を作り、人の病気への取り組み方を変えたわけです。老いを創めると言って、老い方を自分風に意志的に創ることを提唱したり、75才以上の「新老人の会」を作って、国民のホームドクターのような存在で、安倍政権のあり方にも率直にものを言い、最後まで人生の指針を与えた功績は大きいと思います。よど号ハイジャック事件で一命を取り留め、サリン事件で聖路加病院が多数の人を受け入れる中で、今後は自分のためでなく、他者のために自分の命を使おう。使命に生き、ミッションに生きようとされました。生涯、キリスト者として生き抜かれました。

  だが、日野原さんの一生と、Aさんの一生と、どちらが善い人生だったか。投票すれば圧倒的多数で日野原さんでしょう。だが、神の前では、どっちか分かりません。どちらも善い人生だったのでないかと申し上げたいのです。もし日野原さんの方が善い人生で、勝(まさ)っていたとなれば、じゃあ、この私も、あの人も、この人も、日野原さんの人生より劣ると結論ずけられそうで嫌ですね。果たしてそうなのかと思います。Aさんも私には不要ではなかったです。欠かせない人でした。

  晩年の短い間、生活保護を受けましたが、生活の管理も金銭管理も、教会の奉仕もちゃんと出来るようになり、神はAさんにも、「私の善い僕、よくやった」と言われると、私は牧師として肩を持って言ってあげたいと思います。

  今年はM.ルターの宗教改革500年で色々行事があります。そのルターがこう言います。「罪人は愛されるが故に美しい。彼らは美しい故に愛されるのではない。」味わい深いです。愛される罪人、愛の下にある罪人は美しいのです。彼らが美しい故に愛されるのではないのです。神は人を無償で愛されることを、Aさんは私に教えてくれた得難い人でした。いのちは業績にまさるのです。

  エレミヤのように、許される最後の一日まで、厳しい事を語りつつも、人を愛し続けることが出来れば幸いです。

         (つづく)

                                     2017年7月23日



                                     板橋大山教会  上垣勝



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