頭の柔軟なエレミヤ


       これほど表情ある手の動きは初めて見ました。感動のあまり思わずカメラに収めました。
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                                             逮捕の前夜 (上)
                                             エレミヤ35章1-19節



                              (序)
  先週は今から約3800年前のアブラハムから学びました。今日は約2600年前のエレミヤから学ぼうとしています。当時イスラエルは南北王国に分かれ、既に120年程前に北王国は滅びました。そして今、南王国も滅亡せんとしているのですが、エレミヤは青年時代から数十年に渡って国が滅亡しないために、預言して来たのです。だが、この国は頑固で罪を改めようとしない。悪をやめようとしない。そうした中で、あと暫らくして滅んでいくのです。

                              (1)
  1節に、「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代」に、主の言葉が預言者エレミヤに臨み、「レカブ人一族のところへ行って、主の神殿の一室に来るように言い、彼らにぶどう酒を飲ませなさい」と言われたとあります。ヨヤキムは、エホヤキムとも呼ばれる南王国の最後から3番目の王です。

  そこでエレミヤは、「ハバツィンヤの孫であり、イルメヤの子であるヤアザンヤとその兄弟、その子ら、つまりレカブ人の一族全員を連れて、…神殿にある、神の人イグダルヤの子ハナンの弟子たちがいる部屋へ行った。この部屋は、貴族の部屋の隣にあって、門衛、シャルムの子マアセヤの部屋の上に当たる」とありました。

  レカブ一族は、古くはモーセの舅のケニ族の系統で、町に住まない砂漠の民です。この一族は古来、イスラエル民族と友好関係を持っていました。その子孫が「ヤアザンヤとその兄弟、その子ら」です。

  神殿の壁面は2階建て構造で幾つかの部屋があり、エレミヤは2階の一室に彼ら全員を連れて行ったのです。4節の「ハナンの弟子たち」とは、国のお抱え預言者、御用学者です。隣は貴族となっていますが実際は貴族たちの部屋、即ち国の重鎮らの部屋。階下は神殿守衛長と守衛たちの部屋です。即ち国の要人たちが陣取り、お抱え預言者らもいる所に、レカブ人たちを連れて行き、彼らの前にぶどう酒を満たした壺と杯を出し、「ぶどう酒を飲んでください」と勧めたのです。

  壺とあるのは、ブドウ酒をなみなみと満たした手付きの水差しです。ところが6節以下にあるように、彼ら一族全員が口を揃えて、自分らは決して飲みません。「父祖レカブの子ヨナダブが、子々孫々に至るまでぶどう酒を飲んではならない、と命じたからです」と言って、口をつけないのです。それだけでなく、聞いてもいないのに、「家を建てるな、種を蒔くな、ぶどう園を作るな、また、それらを所有せず、生涯天幕に住むように……と言いました」と語り、さらにもう一度、「生涯、我々も妻も、息子、娘たちもぶどう酒を飲まず、住む家を建てず、ブドウ園、畑、種を所有せず、 天幕に住んでいます。我々は父祖ヨナダブの命じたすべてのことに従って、行なってきました」と、2度も繰り返したのです。彼らの決意の固さが分かります。

  即ち、レカブ人らはユダの重鎮たちの間で、先祖以来の生き方を堂々と示したのです。この事はエレミヤに衝撃を与えたのです。

  その時、主の言葉がエレミヤ臨み、「ユダの人々とエルサレムの住民に告げよ。お前たちはわたしの言葉に従えという戒めを受け入れないのか、と主は言われる。レカブの子ヨナダブが一族に、ぶどう酒を飲むなと命じた言葉は守られ、彼らは父祖の命令に聞き従い、今日に至るまでぶどう酒を飲まずにいる。ところがお前たちは、わたしが繰り返し語り続けてきたのに聞き従おうとしなかった。……お前たちに預言者を、繰り返し遣わして命じた。『悪の道を離れて立ち帰り、行いを正せ。他の神々に仕え従うな。そうすれば、わたしが…与えた国土にとどまることができる。』。だが、お前たちは耳を傾けず、わたしに聞こうとしなかった。……ヨナダブの一族が、父祖の命令を固く守っているというのに、この民はわたしに従おうとしない。…」というのです。これが今日の中心になるみ言葉です。

  先ず、ヨナダブ一族は、先祖から、「子々孫々に至るまでぶどう酒を飲んではならない」と戒められ、決して飲もうとしなかった事です。彼らは、神でなく、単に彼らのお爺ちゃんとか、そのまたお爺ちゃんとか、単に先祖が命じた戒めなのに、それを厳しく守り、決して破らず来た。

  ところが、主なる神がユダの民に繰り返し厳しく戒めを与えたのに、聴き従おうとしなかった事です。ヨナダブは人間なのにその命令は堅く尊ばれ、こちらでは主なる神が語っているのに無視され、軽んじられて来た。実に軽重を弁えない民です。神よりお爺ちゃんの権威の方が上みたいな、可笑しいことになっている。そこにこの民の頑固さがあります。

  その上、先祖が、「家を建てるな、種を蒔くな、ぶどう園を作るな、また、それらを所有せず、生涯天幕に住むように。そうすれば、お前たちが滞在する土地で長く生きることができる」と命じたので、堅く守って来たとレカブ人らは付け加えたのです。

  これは驚くべきことです。種を蒔くな、ブドウ園を持つな、即ち定着生活をするな、富を蓄積するなと語り、「生涯天幕に住め」と命じた。即ち地上では旅人として生きよと命じたと言うことです。これは新約に近い考えです。キリスト教的に言えば、私たちの国籍は天にある。だから地上では旅人として生きよとヨナダブが命じ、子孫はそれを厳格に守って来たということです。その様な事を、王国の富に汲々としがみつく重鎮らがいる神殿の一室で語った。

  エレミヤは柔軟な頭を持った人で、レカブ族というユダでは傍流の民族ですが、彼らにも耳を傾け、良いものは信仰に取り入れ、主の栄光のために生かそうとしたのです。

  25年程前、高野山キリスト者を中心にした研修がありました。高野山の研修は珍しく、他宗教にも開かれていたので、彼らも加わっていました。高野山の高僧たちから、曼荼羅の意味など言わば密教の奥義中の奥義など、色々講義を受けました。

  あそこは弘法大師空海が開祖ですが、大師亡き後も大師は生きているとされ、生きているなら毎日お食事が必要とされて、奥の院の廟に1日2回食事をお持ちし、それが約1200年間一日と欠かさず続いていると説明していました。生きている人に出すのですから、供する前に必ず毒味をするのです。食事係は、大師に直にお仕えするので高僧の役であるという事でした。食事の内容は、最近ではパスタやシチューもあるそうです。

  いずれにせよ、頭を柔軟にすれば、私たちは高野山空海からも教えられます。空海は今も生きているとして1200年間食事を供しているとすれば、イエスは「今も生きておられる」と信じるキリスト教は、食事は不必要だが、イエスの復活をもっとリアルに感じて生活し、それを語り伝えなければならない。教会は儀式化を極力排して活き活きしたキリストに触れる所にしなければならないと思います。

  エレミヤのレカブ人からの学びは、ユダの人々の信仰の活性化であったと言うことです。


         (つづく)

                                     2017年7月23日



                                     板橋大山教会  上垣勝



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