セント・パンクラス駅


                        ロンドンのセント・パンクラス
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                                       新しい始まりに向かおう (上)
                                       マルコ16章1-8節


                              (序)
  イギリスは悩んで、どこかくすんだ色をしていました。大山は活気がありますね。人通りが多く、お店に商品が溢れ、人が次から次へ入っては品物を持って出て行きます。暫く留守にした間にまた一軒賑やかな酒場がハッピーロードに出来ました。実に流行っています。そして夜の客引きが、帰って来たら1人から2人に、2人から3人、4人に増えています。日本は今どこに行くんでしょう。

                              (1)
  今日は、イエス復活の日に起こった事をご一緒に考えましょう。週の初めの日の朝早く、日の出の頃、一切が新しい開始を告げていました。婦人たちはこの日に、新しい歩みを始めることになります。いや婦人たちだけでなく、弟子たち全て、そしてイエスの復活を信じる私たち全ても新しい歩みを始めることになるでしょう。これまで経験したことがない全く新しいものを経験するでしょう。

  しかしその前に、婦人たちはイエスが十字架上で亡くなり、2度とお声が聞けず、イエスに仕えることも従うこともない悲しみを深く心に抱きながら墓に向かっていました。彼らはイエスの葬りのために、今、何を行ない、どんな準備をすればいいかを思案し、遺体に塗る香油を買って、最後のお別れをしようと考えていました。

  ただ彼らには心配がありました。墓の入口をふさぐ巨大な石を誰が転がしてくれるか。どうすれば転がせるかという事でした。何しろ4、5人の男でやっと転がせる巨大な石です。ところが、墓に来ると、予想と違って、入口の重い墓石が既に横に転がされ、墓に入るとイエスのお身体は見当たらず、驚いた事に白い服を着た若者が中にいて、彼らに語ったのです。

  聖書の表現では、白い服は、神から遣わされた使者を暗示していますが、彼は、「恐れるな。あなた方はイエスを探しているが、あなた方より前にガリラヤに行かれる」と語ったのです。

  聖書は理性的な眼で物事を見ています。イエスが甦って、先にガリラヤに行かれると聞いた婦人たちは、喜ぶどころか怖くなり、ブルブルと震え、途方にくれたのです。実に不気味だったからです。彼らが耳にした事は、全く信じ難い事だったからです。幻を見ているかと疑い、思わず目を何度もこすったでしょう。

  遺体は墓になく、預言通りイエスは甦って、今も生きていて、既にガリラヤに向かい今、旅を続けておられるというのです。彼らはイエスの遺体を探していましたが、イエスに会うには、彼らもガリラヤに行き、そこで遺体でなく、生きているイエスにお会いするために、今からガリラヤに出掛けなさいと言われたのです。

  白い服の若者から示された事は、婦人たちの旅は墓で終わらず、これまで考えることもなかった新たな旅がこれから始まるということです。彼らが他の弟子の所に行ってイエスの復活を告げてから、イエスに会うためにガリラヤに出発する事です。これは全く考えたこともない新しい人生の展開です。彼らはこの朝、この新しい一歩を踏み出すことになったのです。それがやがて、21世紀の今日の私たちまで、日本のこの時代にまで道が続くことになります。

  今回、フランスからイギリスへの帰りにロンドンのサント・パンクラスという駅に着きました。駅構内を歩いていて、威風堂々としてどこか神々しささえ感じるもので、思わず膝まづきたくなる構内でしたが、外に出て更に圧倒されました。セントと付きますから昔の巨大な修道院かと思いましたが、明治初年に西暦300年頃の14歳の少年セント・パンクラスを記念して建てられた駅舎だそうです。この少年は、当時のローマの官憲から信仰を捨てよと命じられましたが、断じて捨てず、頑強に信仰を貫いて殉教した少年で、少年にして威風堂々たる人物だったそうで、その少年のようにイギリスは威風堂々、単純にして素朴、意志的でありたいというのでこの名をつけたようです。いずれにせよ、この復活の日の新しい歩みがなければセント・パンクラス少年の殉教も、彼の名を冠するロンドンの駅舎もなかったのです。むろん私たちの教会もです。

  イースターは、これまで考えることもなかった新たな旅の始まりであり、イエスに従う者たちはこの新しい始まりに向かって歩み出しているのです。

  しかし、婦人たちは当初、余りに不気味で恐ろしく、当惑したので、誰にも何も告げなかったとありました。前代未聞のこの知らせこそ、やがて彼らの恐怖を全く変貌させて、大胆な喜びに満ちた活動に変えますが、恐怖が次第に変えられて行くには、今は黙っている必要がありました。一粒の種のように、み言葉が蒔かれます。だがそれが成長して実を結ぶには、熟成する期間が必要です。何事も機が熟さない前に始めると苦労します。簡単に行く筈のものも、労力が5倍も10倍も掛ってしまいます。

     (つづく)


                                   2017年6月18日

                                   板橋大山教会  上垣勝



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