計り知れない力の源


                         アヴィニオンのフェスティバル
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                                           王様と死刑囚(2)― 上
                                           Ⅰコリント4章6-13節



                               (1)
  先週は途中で終わりましたので短く要約しますと、コリント教会の一部の人たちがパウロたちの勧告にも耳をかさず、党派を組んで高ぶり、知識を誇り、大金持ちか王様気取りになっているのです。それがいかにイエス様の生き方から遠いことか。王様になるなら、本当の王的な人物になって欲しい。王なるキリストのようになってほしいとパウロは願っていると申しました。

  今日はその続きで、9節に、「考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました」とありました。パウロは彼らに、「王様になっていてくれたらと思います」と語った後、暫らく立ち止まって考えて見たのでしょう。外国での長い伝道生活を振り返ったのです。パウロはこれまでコリント人には、殆ど自分たち使徒の困難を伏せて来たのでしょう。なぜならそれを語ると、聞く人によっては自慢に聞こえるからです。

  だがこの際、率直に語るのがベストだと考えたのです。いつもそんな事をする人は信用なりませんが、語らなければならぬ時は、遠慮せず割り引きなく語る必要があります。すると、「神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました」と思い至ったのです。「死刑囚のように」とは、当局から死を宣告された者、死の淵に臨んだ者と言うことです。「引き出される」とは、公衆の面前に晒されることです。

  ローマの公の祭典には、死刑囚の一団が鎖につながれ、行列の最後に闘技場に入場させられました。すると、スタンドから大きな拍手喝さいが湧き起こり、ヤジが飛びかい、罵倒する者、残虐にやっちまえと叫ぶ者などがあります。今から猛獣と死刑囚たちが死闘を繰り広げる最大の見せ場が始まるからです。観客は興奮のウズに巻き込まれます。当局は民衆の不満のはけ口として、また見せしめにこれを用いました。

  ただパウロは、「神はわたしたち使徒を、…最後に引き出される者となさいました」と語ります。ここにパウロの終末思想、世の終わりが近いという思想が反映しているかも知れませんが、私たちが引き出されるのは、神が為されるのであって、悪魔の業でも人間の仕業でもないと言いたいのです。死刑囚は最も悲惨な死、最悪の運命でしょう。だがこれは宿命でも呪いでもなく、神がこれを最良の道として私たち使徒にお与えになったのだと、比喩ではありますが凄いことを言っています。

  大胆にキリストを証し、迫害を受けたり、逮捕されたり、晒し者になって来た私たちは、言わば公衆の前に引き出された死刑囚に譬えることが出来るが、自分たちの場合は、この時を神から与えられた恵みの機会として、命を掛けて主を証ししていると言いたいのでしょう。まるで死刑囚のような姿だが、絶望でなく希望を抱いてこれを行なっているし、これは誉れであり、名誉である。喜びだと考えると語るのです。なぜなら、キリストに従ってみ後を辿れるからです。

  コリント教会の高ぶる人たちは、信仰を趣味か余興のように考えているかも知れません。先週申しましたように、教会を、キリストを頭とする主の体と考えず、グループを作って自分さえ良ければいいという利己的考えです。だが、イエスの十字架は余興ではありません。隣人を愛し、生きる希望を与え、ご自分の死によって信じる者に命を得させるためです。

  なぜ高ぶるのでしょう。祈りを通したキリストとの生きた親密な交わりがないからです。彼らは知恵を誇りました。だが祈りの中で、自分のあらゆる苦しみ、悩み、葛藤を持ち出し、助けを請い、親しく交わって、イエスの人格に触れることがないなら、信仰は徐々にイエスから離れます。イエスが一人の人間としてどう生きられたかに思いが及ばなくなるからです。

  だがパウロ使徒たちは、終わりに引き出される死刑囚のように、この終わりの時に万民の前に引き出され、「世界中に、天使にも人にも見せ物と」なり、大胆にキリストを伝えました。投獄を恐れず、貧しくなることを意に介さず、真理を、神を証ししました。

  祈りを通して、神との、キリストとのリアルな交わりがある所では、貧しくなることも恐れぬ自由や大胆さも生まれます。無一物を説くのではありませんが、「神の言葉は繋がれたるのあらず」とあるように、神のみを主とすることから来る大胆な自由は、計り知れぬ力の源になります。神との交わり、キリストとの親しい生きた交わりから、愛を持って人に仕え与える自由、真理に組して自分の所有物をも与えて行く自由が生まれます。

       (つづく)

                                         2017年5月14日



                                         板橋大山教会 上垣 勝



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