聞くという奉仕


                  前日、アヴィニヨンの喧騒はまだ始まっていませんでした
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                                          王様と死刑囚 (上)
                                          Ⅰコリント4章6-13節



                               (序)
  今日も子ども達への素晴らしいメッセージを頂きました。メッセージの奉仕を感謝します。教会の奉仕には、語る奉仕と共に聞くという奉仕があります。今日は、私は子ども達に語らず聞く側に廻って聞く奉仕をさせて頂いたわけです。

  聞く奉仕と言うのは、語る奉仕と共に教会では大変大事な奉仕です。メッセージの出来栄えを聞いてやろう、観察してやろうと言う態度では聞く奉仕になりません。それは私たちの兄弟のメッセージを聞く態度としておかしい訳で、正しい聞き方ではないのです。聞く者たちは、その方のために祈りつつ語っている方をお支えして、聞く奉仕をするのです。またお聞きした内容を心に留め、感謝して仕えるのです。

  Aさんは今日お話するために、何日か前から準備なさったでしょう。これまでのような牧師館での話と違って、4月からは大人もいる礼拝の中の話ですから、かなり準備されたと思います。ですから聞く私たちも、私たちの中の親しい兄弟の一人が神様から任務を受けて担当して下さったと考え、兄弟である私たちも、本来なら前の週からその人のために祈り、心の中で応援してアーメンと言って聞くのでなければ、本当の聞き方ではないのです。話として足らないと思う場合は、その人の成長のために祈ることも聞く奉仕の中の大切な奉仕のあり方です。

  これは他の集団でもある程度言えます。あいつがしゃべっているのを聞いてやろうなんて、突き放した、醒めた目で聞かれたら話す方も話しにくいでしょう。ある程度心の中で応援して聞くことは大事です。職場などでも誰かが話したら、必要な時には今日の話は良かったよとか、この点は自分もそうだと思ったとか言うと、その人とのつながりが深まります。ホロ―することは大事です。ましてや教会はキリストの兄弟姉妹ですから、一人の奉仕を他の人たちが信仰で支えるのでなければ兄弟姉妹の教会とは言えません。祈りと信仰で補い合い、アーメンと神に感謝して行くのが、教会と言う信仰共同体の姿です。

       (つづく)

                                         2017年5月7日



                                         板橋大山教会 上垣 勝



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