枯葉の祈り


                          オランダの知人の孫たち
                                ・


                                           災いを恐れない (中)
                                           詩編23篇4節
                                           ヨハネ12章46節


                               (2)
  この詩編は続いて、「あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」と歌っています。鞭とは細い木の鞭とも棍棒だとも言われます。杖は羊飼いの、先が曲がった杖のことです。これらは狼を撃退させる武器になりますが、同時に羊が危険な道に行く時は叩いて制止し、強く懲らしめる道具になり、また、怖がって前進しない時は厳しく打って前進させるものです。いずれにせよ、羊飼いが持つそれらが、主の羊である私を力づける。安心させる。平和を与えると歌うです。

  私たちが今日、実際的な鞭や杖で懲らしめられることはほぼないでしょう。だが、社会的、経済的、また人間関係による困難が、また病気などが、厳しい鞭や杖となって私たちを襲う場合があります。だが、たとえそういう事が起こっても、それ自体は私を力づけませんが、それをきっかけに自分を激励し、奮い立たせて行く。そういう剛毅な魂が「主が共におられる」と告白するこの信仰者にあります。

  暫らく前に、大塩先生のお母さんの祈りをご紹介したことがありました。お母さんは78才で亡くなりましたが、病弱な方だったとお聞きしています。だが病弱ながら、夫と7人の子ども達を信仰に導いた方です。強く剛毅な信仰の魂が燃えていたのでしょう。お母さんの祈りは、「枯葉の祈り」と題するこんな祈りでした。「主よ、私は枯葉のような三文の値打もない者ですが、枯葉は枯葉なりの使命があると思います。どうかそれを示して下さい。」ひ弱そうに見えて、強く剛毅な、そして神への真実な信頼があると思います。だから、この方を神は用いて行かれた。有り難いことに、私たちの教会はこういう信仰の先輩をもっています。

  「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」とは、三文の値打もない枯葉でも、神に固く踏み止まり、枯葉は枯葉なりの使命があると疑わず信頼して、主の導きにより、真実に生きる信仰だと言っても過言ではないでしょう。

  詩編23篇はこの後、「わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。 命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う」と、高らかに歌います。

  試練があり、困難も多々ある。苦しめる者もいる。だがそれらが目の前にいても、主は私の前に食卓、いや前の口語訳では「宴を」、祝宴を設けられる。苦しめる者がいても、祝宴のような誂(あつら)え向きの食卓を用意して下さる。頭に香油を注ぎ、杯にうまい美酒を溢れさせて祝福して下さる。また、命ある限り、何処にいても、恵みと慈しみがいつも私を追う。行く先々で恵みと慈しみが追い掛けて来る。まるで有名な歌手の追っかけのようです。どこに行っても豪華な花束を届けられたり、追っかけて来るような表現です。

  こういう言葉を、5月からの4ヶ月、礼拝の最初に聞くことになっています。不思議に思うのは、2月にミモザが教会に咲き乱れました。今年は元旦から咲き始めたのです。3月に余りに木が繁ったので、花の後、かなり枝を切りました。ただ切り方があります。私は私なりの理論で切りました。すると今新芽が至る所に出ています。これらは来年、再び私たちの目を楽しませてくれるでしょう。私に切られて、木はかなりの打撃を味わい、挫折を経験した。だが挫折の中で新芽が出ています。私たちも主に導かれて、挫折を経験してもそういう歩みをして行きましょう。

      (つづく)

                                         2017年4月23日



                                         板橋大山教会 上垣 勝



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