捨てたもんじゃない


                      オーランジュ野外劇場の巨大さは想像を超えます。
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                                         捨てたもんじゃない (下)
                                         ルカ17章11-19節



                                (3)
  この出来事は一体何を語るのでしょう。一言で言えば、神が造られたもので役に立たぬものは何もないこと。言って見れば、神は造られたものをご覧になって、「甚だよかった」と言われたと言うのですから、全て造られたものは「捨てたもんじゃない」という事。捨ててはならぬという事でしょう。

  イエスは、人から鼻つまみ者にされて避けられる者も捨てられないし避けられない。自分が嫌で自分を捨てたく思っている者でも、イエスは愛し続けられます。その人も捨てられてならぬのです。イエスの所では、誰でも、人間としての復活が起こります。これまでは屍(しかばね)同然であっても、その人の復活、甦りが起こり、再生が起こるのです。イエスを信じる人にはそれが起こります。1度は生物学的に誕生したが死んだも同じになっていた。だがイエスを信じる時、2度目の誕生、魂の復活、再生が与えられるのです。イエスは2度生まれの人を、キリストによって新たに生まれた新しい人を創造されるのです。

  パウロはそういう人の一人でした。彼は、自分は世のチリ、人間の屑のようにされていると言います。また、使徒たちの中で最も小さい者であるが、キリストによって新しく造られ、甦らされた者だ言いました。キリスト者とは、過去は暗くじめじめした所に生きるナメクジ、ドブネズミに等しい者であってもいいのです。重要なのは、今日から、今から、キリストによって新しく造られることです。キリストを信じ新しく造り変えられることです。誰でもキリストにあるなら、新しくなったのです。

  かつては猛烈な毒性を持っていた重い皮膚病、即ちハンセン氏病やらい病も、海外ではまだ発病していますが、日本ではもう発病者はいません。そうは言うものの、今も人からも家族からも避けられ、忌み嫌われ、相手にされないような病気があると思います。考えて見て下さい…。肉体の病、心の病、生き方の病のために、色々の形で人からも家族からも敬遠され、疫病のように怖がられる人があるのではないでしょうか。どうでしょう。皆さんの周りに声を立てられずにいる方がおられないでしょうか。

  たとえそういうものがあったとしても、イエスは今も、躊躇なく近づいて、友よと抱きかかえて癒されるでしょう。いかなる怖がられる病があるにしても、近づいて癒されるのです。復活のキリストはその人の所に来て、まだあなたに希望があることをお告げ下さるのです。

  イギリスにバーミンガムという町があります。今月末に、そこでテゼ共同体の4日間の集会があります。まだ受付中で、15才から35才までの若者が何千人集まるか知りませんが、国内と方々の国から参加がある筈です。1日3回の礼拝があり、他に聖書を中心に話し合いやワークショップ、様々な討論会や研究会があります。そこにサム・エウェルという牧師のワークショップも予定されています。

  サム牧師は、「隠された宝の発見」というプロジェクトのリーダーで、神学者です。彼は、「人に捨てられたものの間でキリスト者として生きる召命」、そんな風変わりな神からの召しを受けて、人に捨てられたものの間でどう生きるか模索している人です。彼はこう言います。「現代は捨てる文化だ。あらゆるものを簡単に捨て、いつも捨てている。冷蔵庫を開けて期限が過ぎていると捨てる。食べ残しを捨てる。包装の袋や箱を捨てる。一度使っただけで捨てるものもある。だが、あらゆるものの内で最悪のものは、人を捨てることだ。」

  今日の聖書のハンセン病の人たちは、社会に捨てられたから国境地方にいたのです。

  サムさんはこう言います。「だが、捨てるのでなく再利用すればどうだろう。神は不必要なものをお造りにならなかった。神は何も、誰をもお捨てにならない。捨てられた人や、捨てられたもので、何かをしたらどうなるだろうか。そこから神の国が明らかにされるのではないだろうか。」まさに隠された宝の発見です。

  彼は刑務所にも関わりを持って、出所した人たちと仕事をしています。例えば町のガーデニングのプロジェクトを立ち上げ、彼らと野菜や花を育て、町を美化する取り組み。捨てられた残飯などで有機肥料を作り、それを使う。そんなプロジェクトを彼らと運営するのです。

  こうして、彼らも捨てたもんじゃないという事を市民に分かってもらい、本人も、自分もまんざら捨てたものじゃないと気付く。これが、「隠された宝の発見」というプロジェクトです。

  イエスの復活を祝うこの時期に、バーミンガムの集いはこう言う事を考え合おうと言うのです。今日、キリスト教信仰の根幹をどう生きるかです。

  また、教会に来ているミュージシャンたちが刑務所を訪問しています。単なる慰問でなく、服役中の希望者に楽器演奏や作曲法を教え、レコーディングをしたり受刑者と看守たちの前で演奏をする。すると猛練習した結果が大きな拍手になって迎えられ、彼らの人生が充実し始める。自信がつき、友情が芽生える。

  この取り組みで自信を得たシャロンという人はこう語っています。自分は、2002年12月に収監された。アルコールとドラッグで全くどうしようもなく潰れてしまっていた。心が実に空しかった。刑務所は自分と同じような状況にある者で溢れていた。皆、本来悪い人間ではなかった。だが悪い選択をしてしまった人間だった。そういう中で、音楽を教えてもらって、やがて自信がつき、正しい自尊心が戻って来た。

  復活です。甦(よみがえ)りです。イギリスでは監獄から出た61%が再犯で戻るそうです。だが、今お話したような活動に出会った人は、15%しか刑務所に戻らないそうです。そのうち日本でもこんな取り組みが始まるでしょう。ただこれは信仰から始まったのですが、日本ではその花だけが切り取られて輸入されるだけかも知れません。

  彼らは新しく神に創造されたのです。イエスは死者の中から復活し、私たちに希望を与えられました。それはイエスを信じる者は誰でも、死から復活するため、また永遠の命を与えられて「死ぬことがない」のです。イースター、それは私たちの新しい人生、新生、新しい甦りのために、イエスに先ず起こった出来事であります。


        (完)

                                         2017年4月16日


                                         板橋大山教会 上垣 勝



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